物を減らし続けている。
2年前くらいから定期的に物を処分し続けていている。
・買わない
・貰わない
・捨てる
を意識しながら生活をしてだいぶスッキリしてきた。
物を捨てる際、
「あ、これいつか使うかな?」という雑念は未だに現れるが、振り切って捨てるようにしている。
色々処分した結果、デメリットは今のところ思いつかない。
対してメリットは、
・片付けがすぐ終わる。
・物を探す時間が減った。
・無駄金を使わない
・「片付けしなきゃ....」という心へのダメージが少なくなる。
などが今すぐに思いついたこと。
★★★
現在私が目指しているのは人間の体型で例えるなら「痩せ型」くらいだろうか。
こんなイメージである。
・モノ多すぎで管理できていない(モノがダブる) → 肥満
・ダブっていないが一通り揃っている → 標準
・若干足りないが、必要な時は借りるor他で代用 → 痩せ型
★★★
また、徐々に物を減らしていくと、次の処分のターゲットが自然と見つかる。
私の場合は「仕事に使っていたノート」をデジタル化して現物を処分することだ。
大体10年分くらいあるのだが、毎日1年分をデジタル化して処分をした。デジタル化しておけばスマホで内容を確認できるし(現物は持ち歩いていないため、必要な時見れない)現物で持っておく理由は使い勝手の面からみても何もなかった。
物を捨て続けているが買った物もある。『シュレッダー』だ。
コクヨ シュレッダー デスクサイド S-tray ホワイト KPS-X120W
- 出版社/メーカー: コクヨ(KOKUYO)
- 発売日: 2008/12/22
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今までは紙を処分しようとしても、住所などが書いてあり手間がかかるので後回しにしてしまい、結果溜まっていくことが多く困っていたが、家庭用小型シュレッダーを買うことで簡単に解決した。
仕事ノートもシュレッダーがあるから処分がスムーズに終わったのだ。
無ければ「また今度」となっていただろう。
不要なモノは不要だが、有用なモノはやっぱり生活の質を上げてくれる。
その見極めが大事なのだろう。
接客は自然が気持ち良い。
先日、近所に外食に出かけたのだが、非常に気持ちのいい接客だった。
一緒に食事に行った人も「接客の人の感じが良いね」と言っていた。
何がよかったのだろう?少し考えてみた。
おそらく接客が「嘘くさくなかった」から良かったのだ。
丁寧過ぎることもなく、無礼でもない。
言葉のチョイスも自然で好感を持ったのだろう。
★★★
近所に蕎麦屋があり、そこの息子が出前の配達やレジを担当している。
要するに蕎麦をつくるのではなく接客をしているのだが、接客が異様に丁寧でその時の笑顔が大袈裟なのだ。
なんとなく嘘くさい。
たまたまその息子が出前の配達をしている所を見かけた。
おそらく交通トラブルがあったのだろう。
車に怒鳴りつけているのを見かけてしまった。
怒鳴りながら配達用のカブで過ぎ去っていた。
どこで誰が見ているかわからないものだ。
私も気を付けなければ。
その時に思ったのが、
「ああ、やっぱりあの笑顔は嘘だったんだな」だった。
なぜ自然に振る舞わないのだろうか。
きっとこういうことなのだろう。
_____________
素の自分だとマズイことに気付いている。
↓
よって対人用に仮の自分つくる。
↓
加減がわからず極端に丁寧になる。
↓
嘘くさい。
良い人は、
素の自分(またはそれに近い状態)で接客する。
↓
自分そのままなので自然。
_____________
演じた自分は相手から見ると不自然さが滲み出てる。
不自然さが出ないのであれば主演俳優賞だ。
しかし、そんなに簡単ではないだろう。
自分が普通にやっていること、特にすごい事をしている認識はないのに周りから「すごいね」と言われる事があなたに向いている事(天職、適職)であると聞いたことがある。
自然な接客が出来る人はすごい事をしている認識はないのだろう。
きっと向いているのだ。
そして接客の際に「自分の人格を変えないといけない人」はたぶん向いていないのだ。
携帯ゲームをアンインストールしたら可処分時間が増えた。
「時間が無い、足りないと思うならテレビを捨てなさい」
こんな言葉を聞いたことがある。
将棋ウォーズ(ネット将棋)というアプリをアンインストールした。それから1週間半程が経った。
すると当たり前だが可処分時間(好きに使える時間)が増えた。
このゲームに費やしていた時間はいろいろ込みで1日に1時間〜2時間くらいだろうか。
また、対局終了した直後から違うことに取り組める訳でもなく、なんとなく頭の中で考えたりしている。
それが無くなった。今までそれに費やしていた時間を他の事に使うことになる。
★★★
そもそも将棋ウォーズをやめたい、アンインストールしたいと思ったことは過去にもあったのだが、強く思うようになったのには理由がある。
きっかけはこの本を読んだからだ。
題名の通り100分の1の『希少性の高いレア人材』になるための本なのだが、
超簡単に要約すると、
①パチンコをしない
②携帯ゲームをしない
③月に1冊の本を読む
たったこれだけのことをするだけで『8分の1の存在になれる』ということなのだ。
逆に言うと、それすらできない人はこの本を読んでも意味がない、という趣旨の事も書いてある。
なるほど、いくら意識を高くして小難しい本を読んだところで、こんな時間の使い方をしていたらダメということか。
文字にすると非常に簡単なように思えるが、上記の①、②の条件は全て習慣になってしまう(中毒性のある)ものであり、今までパチンコや携帯ゲームが習慣になってしまっている人が、いきなりそれをやめても、それによって手にした時間に戸惑ってしまう可能性がある。
そして何をしていいのかわからなくなり、違うパチンコ屋(または他のギャンブル)に行ったり、違うゲームに没頭したりしてしまうことも十分あり得るだろう。
だいたいパチンコをしている友達は決していい事(有益な事)をしているという感覚はなく、ダメな事だとわかってはいるが、暇になると行ってしまうという友達がほとんどだ。
しかも負けてしまった日には、お金と時間の両方を無くして絶望的になるという。
私はパチンコはしないのでそこまでの絶望は味わっていないが、将棋ウォーズの通算対局数などを見て、
「この時間を他のことに使っていれば....」と思ったことは何度もあった。
そしてアンインストールして実際に増えた可処分時間でこのブログを書いている。これが将棋に比べてどのくらい有意義なのかは今のところ不明である。
宿題を終わらせた。
2017年も終わりが近づき、やり残したことを終わらせたくなる頃だ。そんな中、ようやくやり残した宿題を終わらせることが出来た。
宿題とは将棋ウォーズで二段に昇段すること。
少し前にこんなことを書いた。
二段への昇段は自分の実力を出せれば手に届く所にあり、このまま諦めるのはなんとなくスッキリしない状態だった。
「所詮ゲームであり達成しても何もないのだ」と自分に言い聞かせていたが、何となくモヤモヤしていた。もうこれは自分との戦いである。自分自身を満足させるためには昇段が必要だった。
将棋は負けると非常に悔しいゲームである。まず、勝負の中でも珍しく「負けました」と負けを自分で認めることで終局する。
先手、後手以外は条件も同じ(平手なら)であり、
体格や男女差など比較的分かり易い条件も勝敗への影響はあるのかどうかよくわからない。
よって負けた時に「自分を慰める都合のいい言い訳」の要素も少ないのだ。
結果、負けた時には「ただただ悔しい」という気持ちだけが残る。
今はインターネットでプロ棋士の対局を観戦することができる。そこでは自分の負けを確信している棋士が「負けました」が言えなく、水を飲んだり、トイレに行ったりして気持ちを整理している姿も観ることができる。
アマチュアだって悔しいのだ。プロの悔しさは想像を超えるものだろう。
ちなみに将棋は負けると凄く悔しいので途中から「観る専門(観る将)」になる人もいるくらいなのだ。
二段昇段を目標にしてから少し将棋に費やす時間が長くなってしまった。それはイコール他のことを疎かにしてしまった事でもある。
三段、四段と目指せばもうキリがなくなる。
とりあえず目標達成した私は、昇段直後にそっとアプリをアンインストールした。
日常的に読書をする人は全体の2〜6%
「読書人階級」→ 新聞、雑誌、書籍といった活字を日常的に読んでいる層。
感覚的な数字ですが、おそらく日本に200万人ほどいると思っています。
僕らが毎日やっている最強の読み方―新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意
- 作者: 池上彰,佐藤優
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
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「経済書やビジネス書の読者は最大で400万人しかいない」
※書籍はその倍の800万人
★★★
学生時代、私は全然本を読まなかった。
親にも「本を読みなさい」と言われたことが何度もあったが読まなかった。
しかし、社会人になってからはなるべく読むようにしていて、習慣にもなっている。
なぜ社会人になり本を読むようになったのか。
それは必要に迫られるようになったからだ。
社会人になった時に自分の「あまりの知識の無さ」で非常に困った。
まぁでも学生は「勉強、部活、遊ぶ、バイト」が生活のほぼ全てを占めるのが一般的であるから、社会人に必要とされる知識が足りないのは普通のことだとは思う。
しかし社会人になってしまった以上、「知りません」では済まなくなってしまったので、解決をしなければいけない。
その解決策はやはり、本を読んで調べるのが1番効果的だった。
自分が何も知らないのはおそらく本を全く読んでこなかったからだろうと思い、そこから習慣的に読書をするようにしている。
簡単な本(池上彰など)から読み始め、最近では少々難しい本も挑戦するようになってきた。
過去の自分と比べたらいろいろ知識もついたと思うが、インターネットなどでいろいろ見ていると、みんなよく物を知っているなぁと感心する。
有名人の方が、
「本を1冊書くためには、目安として関連分野の書籍を100冊は読む必要がある、と言われている」
と書いているのを見た時には驚いた。
世の中で本を書いている人はそのようなレベルの読書量をこなしているのだ。
そのレベルの人達は学生の頃からきちんと読書をして、どこかの地点で本を書けるレベルに達したのだろう。
学生時代に読書を避けてきた私は、その人達が“今後一生読書しない”限り追いつけなさそうだ。(ありえないが)
自分の学生時代の友達に会ったりすると、本を読んでいない友達もいまだに多く、「知識量にかなり差がついてきたなぁ」と思うこともある。
本を読まないと「自分が実際に体験した事が知識の大半」になってしまうので、他人の経験を吸収している読書家に追いつくには相当いろいろ経験しなければならない。おそらく不可能だ。
今でも自分のレベルを超える本に手を出してしまい、なかなかページが進まない時もある。
しかし過去に読んでみたが全く理解できなかった本を再度読み直し、理解できた(少なくとも楽しいと思えた)時には成長を実感してうれしくなるのだ。
ワーキングホリデーに行くならバッパーに泊まろう。だってネイティブスピーカーはそこにいるから。
オーストラリアへのワーキングホリデーを利用した出国者数は毎年10,000人程度だという。
ワーキングホリデーに行く理由は様々ありそうだが、
「英語が話せるようになりたい!」という理由の人も多いだろう。
しかし残念だけど、1年(長くて2年)海外にいるくらいでは、ペラペラになることはない。
(現地校に行き、完全な英語生活が実現できれば、ものすごく伸びるとは思うけど、その環境は作れない)
現地の生活を通して、「英語という環境に慣れる」というだけで、思っているほど会話ができるようにはならないのが現実だ。(自分の言いたいことが言えない、という環境に慣れる)
しかし、「ペラペラにはなれない」というだけで、
「結構コミュニケーションが取れるようになる人」と
「全くダメで挫折して、日本人コミュニティの中で全期間を過ごす人」という差は出る。
少しでも当初の目的を達成するためには、どれだけ多い時間、英語に接することができるかが重要になってくる。
そこで私がおすすめしたいのは語学学校に行かないで、
英語はネイティブの旅行者との生活で覚える方法だ。
この方法が現地校に行く、「英語漬け生活」に1番近いと思う。
まず語学学校の場合は、
①語学学校は金がかかる。
②語学学校には語学を習う人=英語が喋れない人しかいない。
③日本人コミュニティが形成される可能性が非常に高い。
私もオーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがある。
最初の滞在先のメルボルンでは「ホームステイをしながら語学学校に行く」というお決まりのコースでスタートした。
右も左も分からない状態だったので、語学学校以外の選択肢は検討もしなかった。
語学学校には「英語が話せない外国人」がたくさんいて「お互いに片言の英語」でコミュニケーションが取れることを楽しんでいた。
しかし、私も最初のうちは日本人以外のアジア人(韓国人や台湾人、タイ人など)とのコミュニケーションでも満足をしていたのだが、1ヶ月もすると...
「いつオーストラリア人(またはネイティブ)と仲良くなるのだ?」と焦りだした。
そのうちに日本人コミュニティの人(日本人とばかりいつもいる人)から「桃鉄(桃太郎電鉄)やろうよ」とのオファーを頂いた事が私に最初の滞在地だったメルボルンを離れることを決意させた。
メルボルンに滞在して、2ヶ月半過ぎた頃くらいだった。
飛行機に比べて安価だという理由で、バスのチケットを購入し、12時間かけてシドニーに到着した。
そして重い荷物を置きたいので、すぐにバックパッカーズホステルを探した。
最初の宿泊先のバックパッカーズホステルでは、ラウンジルームに積極的に顔を出し、宿泊者とのコミュニケーションを図ろうとした。
しかし最初の宿泊先は活気がなく、ラウンジに人もあまりいない状態だった。
勇気を出してドイツ人の2人組に話しかけてみたのだが、あまり反応も良くなかった。
なので次の日にすぐにチェックアウトして、新たな宿泊先を探した。
シドニーのキングス・クロスという繁華街にたくさんバッパーがあるらしいので、そこに向かうことにした。
しかし重い荷物と共に移動するのは大変で途中にあるバッパーに宿泊することにした。
そしてたまたま入った次のバッパーが大当たりしたのだ!
宿泊者の7割近くがUK(イングランド、スコットランド)出身者で構成されており、私の部屋は4人部屋で、マンチェスター出身の2人の男性とグラスゴー出身の男性との相部屋だった。
彼らは旅行者であり非日常を求めている。そんな中アジア人であることは大きな武器である。
何もしなくても興味を持ってもらえるのだ。
「飲みに行こうよ」などのお誘いがあるので積極的に参加していた。
私は体調が悪いなどの理由がない限り誘いを断らなかった。
やはりノリの良さは大事である。
なんせ彼らは旅行中だ。
楽しむことが目的だろう。
そして積極的に参加していると次第に他の部屋の知り合いも増える。
また、ネイティブの彼らは私達と違ってあまり自国でお金を貯めて来ない。
オーストラリアで仕事を探して、旅費を貯めるのだ。
そのためバックパッカーズホステルのような安宿に2〜3ヶ月ほど滞在している人も多く、顔馴染みになっていく。
ただ、アジア人というだけで仲良くしてくれる訳ではない。
シャイな人や誘いを断る人は仲良くなれない。
彼らもアジア人が珍しいから「少し興味がある」というだけで、つまらない人と思われたらその後の誘いはなくなる。
目的だったネイティブとの生活を手に入れ、生きた英語を聞くことにより語学学校の何倍もの成果を実感していた。
そんな生活を2ヶ月ほど続けた後、ホステルで仲良くなった人達がある程度お金が貯まったようで、シドニーを離れるという。
私は完全なお荷物なので連れて行ってくれとは言えなかったのだが、彼らからの「もしよければ一緒に来ないか?」とありがたいオファーを頂き、その後の4ヶ月ほどを彼らと共に過ごすことになる。
シドニー → バイロンベイ → ゴールドコースト → ブリスベン → シドニー(2回目)
オーストラリア東海岸を彼らと4ヶ月間旅行した。
(上記の他にもフレーザー島やバンダバーグで”たまねぎピッキング”なども行っている)
話していることの大半が理解できない状況での生活を6ヶ月ほど過ごしストレスもかなりあった。
しかし今でも大変貴重な経験ができたと思っている。
そしてすごく楽しかった。
新年をシドニーで迎えた後、母国へ帰る人、再度お金を貯める人、パースなどの遠くへ行く人と目的がバラバラになったので私達は解散することになった。
彼らとの修行のような、しかしとても充実した日々を終えて私は久しぶりにメルボルンへ向かった。
そして語学学校時代の友人達と再開したのだが、英会話力(話す、聞く)は私のほうが圧倒的に成長していた。
メルボルンを離れなかった彼らは自然とコミュニティーを作りだす。
そしてそのコミュニティー(日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなど)ではほとんど英語を必要としないのだ。
必要ないことを継続して続けるのはとても大変だ。
そして日々の生活に英語が必要ないなら、それはオーストラリアにいても日本にいるのと大差ないのだ。