接客は自然が気持ち良い。
先日、近所に外食に出かけたのだが、非常に気持ちのいい接客だった。
一緒に食事に行った人も「接客の人の感じが良いね」と言っていた。
何がよかったのだろう?少し考えてみた。
おそらく接客が「嘘くさくなかった」から良かったのだ。
丁寧過ぎることもなく、無礼でもない。
言葉のチョイスも自然で好感を持ったのだろう。
★★★
近所に蕎麦屋があり、そこの息子が出前の配達やレジを担当している。
要するに蕎麦をつくるのではなく接客をしているのだが、接客が異様に丁寧でその時の笑顔が大袈裟なのだ。
なんとなく嘘くさい。
たまたまその息子が出前の配達をしている所を見かけた。
おそらく交通トラブルがあったのだろう。
車に怒鳴りつけているのを見かけてしまった。
怒鳴りながら配達用のカブで過ぎ去っていた。
どこで誰が見ているかわからないものだ。
私も気を付けなければ。
その時に思ったのが、
「ああ、やっぱりあの笑顔は嘘だったんだな」だった。
なぜ自然に振る舞わないのだろうか。
きっとこういうことなのだろう。
_____________
素の自分だとマズイことに気付いている。
↓
よって対人用に仮の自分つくる。
↓
加減がわからず極端に丁寧になる。
↓
嘘くさい。
良い人は、
素の自分(またはそれに近い状態)で接客する。
↓
自分そのままなので自然。
_____________
演じた自分は相手から見ると不自然さが滲み出てる。
不自然さが出ないのであれば主演俳優賞だ。
しかし、そんなに簡単ではないだろう。
自分が普通にやっていること、特にすごい事をしている認識はないのに周りから「すごいね」と言われる事があなたに向いている事(天職、適職)であると聞いたことがある。
自然な接客が出来る人はすごい事をしている認識はないのだろう。
きっと向いているのだ。
そして接客の際に「自分の人格を変えないといけない人」はたぶん向いていないのだ。
携帯ゲームをアンインストールしたら可処分時間が増えた。
「時間が無い、足りないと思うならテレビを捨てなさい」
こんな言葉を聞いたことがある。
将棋ウォーズ(ネット将棋)というアプリをアンインストールした。それから1週間半程が経った。
すると当たり前だが可処分時間(好きに使える時間)が増えた。
このゲームに費やしていた時間はいろいろ込みで1日に1時間〜2時間くらいだろうか。
また、対局終了した直後から違うことに取り組める訳でもなく、なんとなく頭の中で考えたりしている。
それが無くなった。今までそれに費やしていた時間を他の事に使うことになる。
★★★
そもそも将棋ウォーズをやめたい、アンインストールしたいと思ったことは過去にもあったのだが、強く思うようになったのには理由がある。
きっかけはこの本を読んだからだ。
題名の通り100分の1の『希少性の高いレア人材』になるための本なのだが、
超簡単に要約すると、
①パチンコをしない
②携帯ゲームをしない
③月に1冊の本を読む
たったこれだけのことをするだけで『8分の1の存在になれる』ということなのだ。
逆に言うと、それすらできない人はこの本を読んでも意味がない、という趣旨の事も書いてある。
なるほど、いくら意識を高くして小難しい本を読んだところで、こんな時間の使い方をしていたらダメということか。
文字にすると非常に簡単なように思えるが、上記の①、②の条件は全て習慣になってしまう(中毒性のある)ものであり、今までパチンコや携帯ゲームが習慣になってしまっている人が、いきなりそれをやめても、それによって手にした時間に戸惑ってしまう可能性がある。
そして何をしていいのかわからなくなり、違うパチンコ屋(または他のギャンブル)に行ったり、違うゲームに没頭したりしてしまうことも十分あり得るだろう。
だいたいパチンコをしている友達は決していい事(有益な事)をしているという感覚はなく、ダメな事だとわかってはいるが、暇になると行ってしまうという友達がほとんどだ。
しかも負けてしまった日には、お金と時間の両方を無くして絶望的になるという。
私はパチンコはしないのでそこまでの絶望は味わっていないが、将棋ウォーズの通算対局数などを見て、
「この時間を他のことに使っていれば....」と思ったことは何度もあった。
そしてアンインストールして実際に増えた可処分時間でこのブログを書いている。これが将棋に比べてどのくらい有意義なのかは今のところ不明である。
宿題を終わらせた。
2017年も終わりが近づき、やり残したことを終わらせたくなる頃だ。そんな中、ようやくやり残した宿題を終わらせることが出来た。
宿題とは将棋ウォーズで二段に昇段すること。
少し前にこんなことを書いた。
二段への昇段は自分の実力を出せれば手に届く所にあり、このまま諦めるのはなんとなくスッキリしない状態だった。
「所詮ゲームであり達成しても何もないのだ」と自分に言い聞かせていたが、何となくモヤモヤしていた。もうこれは自分との戦いである。自分自身を満足させるためには昇段が必要だった。
将棋は負けると非常に悔しいゲームである。まず、勝負の中でも珍しく「負けました」と負けを自分で認めることで終局する。
先手、後手以外は条件も同じ(平手なら)であり、
体格や男女差など比較的分かり易い条件も勝敗への影響はあるのかどうかよくわからない。
よって負けた時に「自分を慰める都合のいい言い訳」の要素も少ないのだ。
結果、負けた時には「ただただ悔しい」という気持ちだけが残る。
今はインターネットでプロ棋士の対局を観戦することができる。そこでは自分の負けを確信している棋士が「負けました」が言えなく、水を飲んだり、トイレに行ったりして気持ちを整理している姿も観ることができる。
アマチュアだって悔しいのだ。プロの悔しさは想像を超えるものだろう。
ちなみに将棋は負けると凄く悔しいので途中から「観る専門(観る将)」になる人もいるくらいなのだ。
二段昇段を目標にしてから少し将棋に費やす時間が長くなってしまった。それはイコール他のことを疎かにしてしまった事でもある。
三段、四段と目指せばもうキリがなくなる。
とりあえず目標達成した私は、昇段直後にそっとアプリをアンインストールした。
日常的に読書をする人は全体の2〜6%
「読書人階級」→ 新聞、雑誌、書籍といった活字を日常的に読んでいる層。
感覚的な数字ですが、おそらく日本に200万人ほどいると思っています。
僕らが毎日やっている最強の読み方―新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意
- 作者: 池上彰,佐藤優
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「経済書やビジネス書の読者は最大で400万人しかいない」
※書籍はその倍の800万人
★★★
学生時代、私は全然本を読まなかった。
親にも「本を読みなさい」と言われたことが何度もあったが読まなかった。
しかし、社会人になってからはなるべく読むようにしていて、習慣にもなっている。
なぜ社会人になり本を読むようになったのか。
それは必要に迫られるようになったからだ。
社会人になった時に自分の「あまりの知識の無さ」で非常に困った。
まぁでも学生は「勉強、部活、遊ぶ、バイト」が生活のほぼ全てを占めるのが一般的であるから、社会人に必要とされる知識が足りないのは普通のことだとは思う。
しかし社会人になってしまった以上、「知りません」では済まなくなってしまったので、解決をしなければいけない。
その解決策はやはり、本を読んで調べるのが1番効果的だった。
自分が何も知らないのはおそらく本を全く読んでこなかったからだろうと思い、そこから習慣的に読書をするようにしている。
簡単な本(池上彰など)から読み始め、最近では少々難しい本も挑戦するようになってきた。
過去の自分と比べたらいろいろ知識もついたと思うが、インターネットなどでいろいろ見ていると、みんなよく物を知っているなぁと感心する。
有名人の方が、
「本を1冊書くためには、目安として関連分野の書籍を100冊は読む必要がある、と言われている」
と書いているのを見た時には驚いた。
世の中で本を書いている人はそのようなレベルの読書量をこなしているのだ。
そのレベルの人達は学生の頃からきちんと読書をして、どこかの地点で本を書けるレベルに達したのだろう。
学生時代に読書を避けてきた私は、その人達が“今後一生読書しない”限り追いつけなさそうだ。(ありえないが)
自分の学生時代の友達に会ったりすると、本を読んでいない友達もいまだに多く、「知識量にかなり差がついてきたなぁ」と思うこともある。
本を読まないと「自分が実際に体験した事が知識の大半」になってしまうので、他人の経験を吸収している読書家に追いつくには相当いろいろ経験しなければならない。おそらく不可能だ。
今でも自分のレベルを超える本に手を出してしまい、なかなかページが進まない時もある。
しかし過去に読んでみたが全く理解できなかった本を再度読み直し、理解できた(少なくとも楽しいと思えた)時には成長を実感してうれしくなるのだ。
ワーキングホリデーに行くならバッパーに泊まろう。だってネイティブスピーカーはそこにいるから。
オーストラリアへのワーキングホリデーを利用した出国者数は毎年10,000人程度だという。
ワーキングホリデーに行く理由は様々ありそうだが、
「英語が話せるようになりたい!」という理由の人も多いだろう。
しかし残念だけど、1年(長くて2年)海外にいるくらいでは、ペラペラになることはない。
(現地校に行き、完全な英語生活が実現できれば、ものすごく伸びるとは思うけど、その環境は作れない)
現地の生活を通して、「英語という環境に慣れる」というだけで、思っているほど会話ができるようにはならないのが現実だ。(自分の言いたいことが言えない、という環境に慣れる)
しかし、「ペラペラにはなれない」というだけで、
「結構コミュニケーションが取れるようになる人」と
「全くダメで挫折して、日本人コミュニティの中で全期間を過ごす人」という差は出る。
少しでも当初の目的を達成するためには、どれだけ多い時間、英語に接することができるかが重要になってくる。
そこで私がおすすめしたいのは語学学校に行かないで、
英語はネイティブの旅行者との生活で覚える方法だ。
この方法が現地校に行く、「英語漬け生活」に1番近いと思う。
まず語学学校の場合は、
①語学学校は金がかかる。
②語学学校には語学を習う人=英語が喋れない人しかいない。
③日本人コミュニティが形成される可能性が非常に高い。
私もオーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがある。
最初の滞在先のメルボルンでは「ホームステイをしながら語学学校に行く」というお決まりのコースでスタートした。
右も左も分からない状態だったので、語学学校以外の選択肢は検討もしなかった。
語学学校には「英語が話せない外国人」がたくさんいて「お互いに片言の英語」でコミュニケーションが取れることを楽しんでいた。
しかし、私も最初のうちは日本人以外のアジア人(韓国人や台湾人、タイ人など)とのコミュニケーションでも満足をしていたのだが、1ヶ月もすると...
「いつオーストラリア人(またはネイティブ)と仲良くなるのだ?」と焦りだした。
そのうちに日本人コミュニティの人(日本人とばかりいつもいる人)から「桃鉄(桃太郎電鉄)やろうよ」とのオファーを頂いた事が私に最初の滞在地だったメルボルンを離れることを決意させた。
メルボルンに滞在して、2ヶ月半過ぎた頃くらいだった。
飛行機に比べて安価だという理由で、バスのチケットを購入し、12時間かけてシドニーに到着した。
そして重い荷物を置きたいので、すぐにバックパッカーズホステルを探した。
最初の宿泊先のバックパッカーズホステルでは、ラウンジルームに積極的に顔を出し、宿泊者とのコミュニケーションを図ろうとした。
しかし最初の宿泊先は活気がなく、ラウンジに人もあまりいない状態だった。
勇気を出してドイツ人の2人組に話しかけてみたのだが、あまり反応も良くなかった。
なので次の日にすぐにチェックアウトして、新たな宿泊先を探した。
シドニーのキングス・クロスという繁華街にたくさんバッパーがあるらしいので、そこに向かうことにした。
しかし重い荷物と共に移動するのは大変で途中にあるバッパーに宿泊することにした。
そしてたまたま入った次のバッパーが大当たりしたのだ!
宿泊者の7割近くがUK(イングランド、スコットランド)出身者で構成されており、私の部屋は4人部屋で、マンチェスター出身の2人の男性とグラスゴー出身の男性との相部屋だった。
彼らは旅行者であり非日常を求めている。そんな中アジア人であることは大きな武器である。
何もしなくても興味を持ってもらえるのだ。
「飲みに行こうよ」などのお誘いがあるので積極的に参加していた。
私は体調が悪いなどの理由がない限り誘いを断らなかった。
やはりノリの良さは大事である。
なんせ彼らは旅行中だ。
楽しむことが目的だろう。
そして積極的に参加していると次第に他の部屋の知り合いも増える。
また、ネイティブの彼らは私達と違ってあまり自国でお金を貯めて来ない。
オーストラリアで仕事を探して、旅費を貯めるのだ。
そのためバックパッカーズホステルのような安宿に2〜3ヶ月ほど滞在している人も多く、顔馴染みになっていく。
ただ、アジア人というだけで仲良くしてくれる訳ではない。
シャイな人や誘いを断る人は仲良くなれない。
彼らもアジア人が珍しいから「少し興味がある」というだけで、つまらない人と思われたらその後の誘いはなくなる。
目的だったネイティブとの生活を手に入れ、生きた英語を聞くことにより語学学校の何倍もの成果を実感していた。
そんな生活を2ヶ月ほど続けた後、ホステルで仲良くなった人達がある程度お金が貯まったようで、シドニーを離れるという。
私は完全なお荷物なので連れて行ってくれとは言えなかったのだが、彼らからの「もしよければ一緒に来ないか?」とありがたいオファーを頂き、その後の4ヶ月ほどを彼らと共に過ごすことになる。
シドニー → バイロンベイ → ゴールドコースト → ブリスベン → シドニー(2回目)
オーストラリア東海岸を彼らと4ヶ月間旅行した。
(上記の他にもフレーザー島やバンダバーグで”たまねぎピッキング”なども行っている)
話していることの大半が理解できない状況での生活を6ヶ月ほど過ごしストレスもかなりあった。
しかし今でも大変貴重な経験ができたと思っている。
そしてすごく楽しかった。
新年をシドニーで迎えた後、母国へ帰る人、再度お金を貯める人、パースなどの遠くへ行く人と目的がバラバラになったので私達は解散することになった。
彼らとの修行のような、しかしとても充実した日々を終えて私は久しぶりにメルボルンへ向かった。
そして語学学校時代の友人達と再開したのだが、英会話力(話す、聞く)は私のほうが圧倒的に成長していた。
メルボルンを離れなかった彼らは自然とコミュニティーを作りだす。
そしてそのコミュニティー(日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなど)ではほとんど英語を必要としないのだ。
必要ないことを継続して続けるのはとても大変だ。
そして日々の生活に英語が必要ないなら、それはオーストラリアにいても日本にいるのと大差ないのだ。
少年野球はクソだった。
私が所属していた少年野球チームは少子化と野球人気の下落により、現在は母校の生徒だけでは人数が足りなくて、地域の小学校の3つのチームが合併したらしい。
私の時代には1学年上のチームは人数が多すぎるので、2つのチームに分割されていた。1学年で2つのチームが作れたのだ。時代は変わった。
少し思い出して書こうと思う。
僕は、野球自体は面白いスポーツだと思いますけど、日本で少年野球〜高校野球の監督をやっているようなオッサンに未だに多い?精神主義かつ根性論かつ上意下達の文化はクソだと思っています。いちいちベンチのサインを伺うような人間に子どもは育ってほしくない。 https://t.co/98yaS62U77
— 田端@田端大学塾長である! (@tabbata) 2017年8月13日
私は高校野球はやっていないので、少年野球(小学生)をやっていた頃の話である。
・・・
私は転校生であり、小学4年生から母校の生徒の同学年のみで構成されたチームに入った。
少年野球に入った時にすぐに指摘されたことがある。
髪型だ。
「長い」と。
私がいた少年野球チームの世界では、「坊主」または「スポーツ刈り」が当たり前であり、それよりも長い髪をしているといちいちイジられる。
「長いなー、切ってこいよ」とか、
「カッコつけている」などと言われるのだ。
最初に大人のコーチがそれを言ってくるものだから、チームメイトも便乗して言ってくる。
なので床屋に行った後に野球に行くのは嫌だった。
当時から「(一般的には普通の)髪型が野球に何の悪い影響があるのだ?」と考えていたので、私は散髪後でも他のチームメイトよりも長髪のままだったからだ。
坊主やスポーツ刈りは絶対に嫌だったので、拒否し続けていた。
先述したように私は転校生であり、元々いた小学校は野球クラブなどに入っている人は身近にいなくて、「野球やる=坊主」みたいな環境ではなかった。
それが転校先では「野球やる=坊主(短髪)」の世界だったのだ。
私は適応できず、在籍期間中一度も髪を短くしなかった。
途中からイジられることもなくなったが。
・・・
また、私の在籍していた少年野球クラブは、実は親からの評判が良くなかった。
しかし転校生だったので、親もその情報を知らず、私が入った後に知ることになる。
少年野球はクソだった。という題名なのだけど、以下に理由を書く。
【監督、コーチを含めボランティアだが、結局は自分が楽しみたいだけ】
大人の中には「子供達に楽しくスポーツをやらせたい」という気持ちの大人もいただろうが、「プロの監督、コーチの真似事」をしたい大人のパワーに押され、あまり参加しなくなるような気がする。
また、この「ボランティア」が曲者で、お金を支払わない替わりに「協力や参加」を求められる。
(母親曰く)「それならお金を払うほうがマシである」
【野球に時間を投下できる親が際限なく企画をする】
野球は通常は土日と祝日にあるのだが、来るコーチは毎回ほぼ同じで、野球に対して投下できる時間が多い大人だ。
そうすると今度は「平日に朝練しよう」とか言い出すのである。
終いには「朝練に来ないやつはレギュラーになれない」と新たなルールも追加された。
洗濯をしなければいけない母親には迷惑をかけた。
そしてコーチの奥さんは「おしぼりを出そう」とか「飲み物を用意しよう」とか無限に手間を掛けようとしてくるようだ。
【夫がコーチ、そして息子が選手をやっている母親の幅の利かせ方が強い】
積極的に参加している家族の母親は、休みの日に旦那も子供達もみんな野球をやってしまって暇なので、ほぼ毎回来るようになる。
来るだけではなく、中にはプレーについて指図をしてきたり、自分の息子の待遇についても口を出していたと聞く。
今思えば、毎回参加しているコーチの息子達は、ほぼみんな花形であるピッチャーを経験していた。
当時はあんまり上手くないチームメイトもピッチャーをやっていて「なんでだろう?」と思っていたけど、あれは監督から親への配慮だ。
一方で私の父親は野球クラブとは全く関係を持たず、母親も兄弟の世話があるので時々しか参加できなかったのだが、それも反感を買っていたらしい。
私は内野手のレギュラーだったのだが、他の親からすると全然積極的に関わろうとしない人の息子がレギュラーなのが気に入らないらしく、母親に「何度も嫌味を言われた」と後になって聞かされた。
※少年野球では外野よりも内野の方が球がよく飛んでくるので、外野<内野というヒエラルキーがある。
・・・
プレーについても無意味なヘッドスライディングや全力ダッシュは必要とされた。
私は元々そういうことをやらされる時に嫌な顔が出てしまうタイプで、一部のコーチから嫌われていた。
「子供らしさがなく、かわいくない」と。
結局、私も「あるコーチ」にことあるごとに嫌味を言われ続け、頭にきて辞めてしまった。
辞める時には理由を言わなければならず、
「◯◯コーチにずっと目の敵にされていたのは気付いていたけど、エスカレートしてきて頭にきたので辞めます」
と正直に伝えた。
後日、そのコーチは私の自宅にスーツ姿で謝りにきたが、もう辞めると決めた以上やる気にはなれず、謝罪は受け入れたがそのまま辞めてしまった。
・・・
野球自体は楽しくやっていたし、チームメイトとも仲良くして今でも交流がある友人もいる。
しかし、これ以降、私はチームスポーツをやることはなかった。
一部の暇な親が「監督、コーチ、サポーター」として幅を利かせまくる。少年野球の感想はこんな感じだ。
私の周りでも、高校野球が好きな人は「気合い」とか「逃げたら負け」とか根性論が本当に好きである。
一般的には無意味な全力ダッシュは彼らにとっては意味があるのだろう。
[追記]
本当にたまたまツイッターのタイムラインを見ていたらこれがあった!
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— NewsPicks (@NewsPicks) 2017年11月5日