AppleWatchの価値は機能だけではない。

 

 

私はAppleWatchを着けている。機能的にはかなり満足している。

スケジュールが画面に出る文字盤を採用しているのだが、そのおかげで「予定を脳に記憶しておく」という作業をAppleWatchに丸投げしている。

この機能があるので簡単な事でもスケジュールに入れて、時計を見た時についでに思い出せるようにしている。

(例)ゴミ袋、牛乳を買って帰る.... etc

もともとAppleWatchを買った理由は「電話に気付かない」からだった。

仕事上、電話に出れないと支障が出ることもしばしばあるのだが、室外に出ている時は他の音に着信音がかき消され、電話に気付かないことも多かった。

AppleWatchの場合、電話が鳴ると時計からも音が出るので、今はもう電話に気付かないという事も無くなった。

上記のように機能の面でも十分に満足しているのだが、もう1つ助かっていることがある。それは....

 

いい歳をした大人の男性が着けていても変じゃない時計を3~4万円で提供していることだ。

 

私の周りでも時計が好きな人はもちろん「そうでない人」も、

「意外と時計って大事だよね。相手の時計も気になって見るよ」

と社会人3年目くらいから言い出していた。

私としては、時計をすること自体あまり好きではないこともあるのだが、高級な腕時計を買おうという気もしなかった。

そんな中、AppleWatchが誕生した。

初めは、時計としては「見た目が若干ダサい」と言われていたと記憶しているが、それでも機能の高さから着ける人が増え、今となっては新たなジャンル、「スマートウォッチ」として存在している。

この様に新たなジャンルを確立してくれたことにより、

いい歳して見た目が若干ダサい時計を着けていても、

「あぁ、スマートウォッチ派ね」

と市民権を得ることが出来た。

 

同じような話として、毎日着る服を選ぶのが面倒で「似たような服ばかり着る」という話もある。

 「毎日同じ服だけど洗っているのかな?」

と陰口を言われそうだが、

スティーブ・ジョブズや、マーク・ザッカーバーグが同じような服を毎日着て「私服の制服化」をしてくれた。

彼らのような絶大な影響力のある人が実施してくれたこともあり「私服の制服化」の方も市民権を得ると思う。

服や時計が好きな人はたくさん買えばいいし、楽しむといい。

しかしあまり興味のない人にも選択肢を与えてくれたことは私はとても大きいと思う。

スターバックスでお持ち帰りをできる金銭感覚。

昔から私にはできないと思っていることがある。

スターバックスで持ち帰り」だ。

持ち帰りだと高くないか?

私を含め店内で飲む場合は「コーヒー with 席、テーブル、wifiの使用」で300円~600円程度の金額を支払っている。

しかし持ち帰りだと「コーヒー(with 紙袋)のみ」だが値段は変わらないのだ。

なので私はコーヒーが飲みたいだけ(席に座らない)場合はセブンイレブンのコーヒーを買い、それがなければ缶コーヒーor違う飲み物で我慢する。

スターバックスに関しては、持ち帰りで「割高に」買ってくれる人のおかげで「割安に」店内使用ができるので助かっているのだけど。

いっそ「店内使用料を取っては?」とも思うが、それをしたら時間制にしない限り何時間でもいることを店側が認めてしてしまうことにもなり、回転率の問題などからなかなか難しいのかもしれない。

また席のグレードも均一にする必要もあるかもしれない。

 

★★★

 

一緒に暮らしたり、旅行をしたりすると「相手のことがよくわかる」とか「ケンカする」と言われることも多い。

 

例えば旅行先で、

A「ちょっと喉乾いたね」

B「スタバ行こうよ」

A「いいよ(じゃあひと休みかな)」

スタバ到着

B「カフェラテ持ち帰りで」

A「えっ(持ち帰りならスタバじゃなくても...)同じのください」

金銭感覚が合わないとこういうことも珍しくなくなるだろう。

 

個人旅行は決定の連続である。

何時に起きるか、どこ行くか、何で行くか、何食べるか、いつ休むか、いつホテルに戻るか、いつ寝るか...などなど。

金銭感覚だけではなく、「時間感覚」、「優先順位の感覚」、「相手に合わせる感覚」、「荷物の多い、少ないの感覚」...etc

このような様々な感覚の違いが浮き彫りになり、1日、2日程度なら我慢もできるだろうが、「1週間以上でしかも海外」なんてシチュエーションだと半数以上がケンカをするのではないか?

でも「一緒に暮らす」はそれのさらに上を行く難易度になる。

その上は「子供を持つ」だ。

 

上手くやるには「相手に合わせる感覚」がお互いに高いことがきっと1番重要なんだろうなぁ。 

自分自身が書籍を購入することを通して「信用」を少し理解した。

自分自身が書籍を購入することを通して「信用」を少し理解した。

 

書籍を買う際、内容を全て確認してから購入することはできない(立ち読みで読了する方法はあるが)。

よって、買う時に考えることは、

「この人の本ならきっと面白いだろう」と相手の事(本の内容)を信用して買う。

相手のことがよく分からない場合は「経歴や出身大学」などで信用を補填することになる。

 

意外とこれは無意識に全てに当てはめているのかもしれない。

・遊ぶ時には「きっと面白い時間になるだろう」

・仕事を発注する時は「きっと、きちんとやってくれるだろう」

 

「書籍の内容」や「過ごす時間」、「仕事の完成度」に満足がいかないことが予想できるならば、それを避けると思う。

 

★★★

 

以前、部屋を片付けていたら音楽のCDが出てきた。

その中の数枚は私のCDではなかった。

借りた物を返していなかったのだ。

学生時代は借り物を返し忘れる(借りパク)も度々あった。

きっと私が貸した物が返ってこない時に、

「忘れてるんだろうな...返してくれとは言いづらいな...。」

と思っていたのと同様の事を私に対して思っていたのだろう。

学生時代だから許された?かもしれないが、大人になったら許されない場合も多い。

 

結果、もう聴きもしないCDと引き換えに私は信用を確実に失ったのだ。

その後、何人かの友人に会った時に借りパクしていたことを伝え、

「必要なら返す」と言ったら、返答はもちろん「もういらない。捨てていいよ」だった。

 

一応ビールを奢ったので、なんとか水に流してもらえたらと思う。

同窓会をすると如何に自分が彼らから影響を受けていたかわかる。

学生時代の友人と会う機会は年々減っていく。

今では年に1回の忘年会の時だけ会う友人も多い。

最近は旧友に会うと発言や行動に違和感を覚えることも多くなってきた。

 

・考え方  → 「仕事論」、「人生論」、「家族観」など。

・振る舞い → 「言葉使い」「店員に対する態度」「ゴミのポイ捨て」など。

 

どちらが良いとか悪いとかではないが、

「私はそう思わない」

「それはしない」

「いや、これは大事でしょ」

このような感じで意見が相違することも多い。

特にそれを指摘したりして、波風をたてる訳でもないけど。

 

友人と会うことが減るようになると、徐々に本来の自分に近づいて行くような気がする。

彼らから受けた影響がどんどん減っていく。

それぞれが自分の時間を過ごし、色々な影響を外部から受け、1年も経つと価値観が徐々に変化してくる。

それが10年ほど積み重なると、正直ほとんど話が合わなくなってきてしまった。

話の内容は共通の知人の話がメイン、というかそれくらいしかない。

 

人との関係も流動的にすべきなのだろうか。

その場合は「今の私と仲良くなりたい」と相手に思ってもらわなければいけない。

その為には、金銭や人脈など戦略的な観点から惹きつけるやり方もあるだろうし、「楽しい」や「落ち着く」など感情的に惹きつける方法もある。

 

どれを自分の強みとして選択し強化するのかは人それぞれなのだが、どれもない場合は「大人になってからの友達(知り合い)」はなかなかできないだろう。

物を減らし続けている。

 2年前くらいから定期的に物を処分し続けていている。

・買わない

・貰わない

・捨てる

を意識しながら生活をしてだいぶスッキリしてきた。

物を捨てる際、

「あ、これいつか使うかな?」という雑念は未だに現れるが、振り切って捨てるようにしている。

色々処分した結果、デメリットは今のところ思いつかない。

対してメリットは、

・片付けがすぐ終わる。

・物を探す時間が減った。

・無駄金を使わない

「片付けしなきゃ....」という心へのダメージが少なくなる。

などが今すぐに思いついたこと。

 

★★★

 

現在私が目指しているのは人間の体型で例えるなら「痩せ型」くらいだろうか。

こんなイメージである。

・モノ多すぎで管理できていない(モノがダブる) → 肥満

・ダブっていないが一通り揃っている → 標準

・若干足りないが、必要な時は借りるor他で代用 → 痩せ型

・何にもいらない → 栄養失調(ガリガリ

 

★★★

 

また、徐々に物を減らしていくと、次の処分のターゲットが自然と見つかる

私の場合は「仕事に使っていたノート」をデジタル化して現物を処分することだ。

大体10年分くらいあるのだが、毎日1年分をデジタル化して処分をした。デジタル化しておけばスマホで内容を確認できるし(現物は持ち歩いていないため、必要な時見れない)現物で持っておく理由は使い勝手の面からみても何もなかった。

物を捨て続けているが買った物もある。『シュレッダー』だ。

 

コクヨ シュレッダー デスクサイド S-tray ホワイト KPS-X120W

コクヨ シュレッダー デスクサイド S-tray ホワイト KPS-X120W

 

 

今までは紙を処分しようとしても、住所などが書いてあり手間がかかるので後回しにしてしまい、結果溜まっていくことが多く困っていたが、家庭用小型シュレッダーを買うことで簡単に解決した。

仕事ノートもシュレッダーがあるから処分がスムーズに終わったのだ。

無ければ「また今度」となっていただろう。 

不要なモノは不要だが、有用なモノはやっぱり生活の質を上げてくれる。

その見極めが大事なのだろう。

2018年1月1日

今年はどんな年になるだろうか。

価値経済、評価経済はどのような変化をするのだろう。

仮想通貨が盛り上がっているが、どのような変化をするのだろう。

子供達がどのように変化するのだろう。

私自身はどのように変化するのだろう。

2018年12月31日にこれを見て答え合わせをしよう。

接客は自然が気持ち良い。

先日、近所に外食に出かけたのだが、非常に気持ちのいい接客だった。

一緒に食事に行った人も「接客の人の感じが良いね」と言っていた。

何がよかったのだろう?少し考えてみた。

 

おそらく接客が「嘘くさくなかった」から良かったのだ。

丁寧過ぎることもなく、無礼でもない。

言葉のチョイスも自然で好感を持ったのだろう。

 

★★★

 

近所に蕎麦屋があり、そこの息子が出前の配達やレジを担当している。

要するに蕎麦をつくるのではなく接客をしているのだが、接客が異様に丁寧でその時の笑顔が大袈裟なのだ。

なんとなく嘘くさい。

 

たまたまその息子が出前の配達をしている所を見かけた。

おそらく交通トラブルがあったのだろう。

車に怒鳴りつけているのを見かけてしまった。

怒鳴りながら配達用のカブで過ぎ去っていた。

どこで誰が見ているかわからないものだ。

私も気を付けなければ。

 

その時に思ったのが、

「ああ、やっぱりあの笑顔は嘘だったんだな」だった。

なぜ自然に振る舞わないのだろうか。

 

きっとこういうことなのだろう。 

_____________

 

素の自分だとマズイことに気付いている。

よって対人用に仮の自分つくる。

加減がわからず極端に丁寧になる。

嘘くさい。

 

良い人は、

素の自分(またはそれに近い状態)で接客する。

自分そのままなので自然。

_____________

 

演じた自分は相手から見ると不自然さが滲み出てる。

不自然さが出ないのであれば主演俳優賞だ。

しかし、そんなに簡単ではないだろう。

 

自分が普通にやっていること、特にすごい事をしている認識はないのに周りから「すごいね」と言われる事があなたに向いている事(天職、適職)であると聞いたことがある。

 

自然な接客が出来る人はすごい事をしている認識はないのだろう。

きっと向いているのだ。

そして接客の際に「自分の人格を変えないといけない人」はたぶん向いていないのだ。