日常的に読書をする人は全体の2〜6%

「読書人階級」→ 新聞、雑誌、書籍といった活字を日常的に読んでいる層。

感覚的な数字ですが、おそらく日本に200万人ほどいると思っています。

 

「経済書やビジネス書の読者は最大で400万人しかいない」

※書籍はその倍の800万人

日本人というリスク (講談社+α文庫)

日本人というリスク (講談社+α文庫)

 

 

 ★★★

 

学生時代、私は全然本を読まなかった。

親にも「本を読みなさい」と言われたことが何度もあったが読まなかった。

しかし、社会人になってからはなるべく読むようにしていて、習慣にもなっている。

 

なぜ社会人になり本を読むようになったのか。

それは必要に迫られるようになったからだ。

社会人になった時に自分の「あまりの知識の無さ」で非常に困った。

まぁでも学生は「勉強、部活、遊ぶ、バイト」が生活のほぼ全てを占めるのが一般的であるから、社会人に必要とされる知識が足りないのは普通のことだとは思う。

 

しかし社会人になってしまった以上、「知りません」では済まなくなってしまったので、解決をしなければいけない。

 

その解決策はやはり、本を読んで調べるのが1番効果的だった。

 

自分が何も知らないのはおそらく本を全く読んでこなかったからだろうと思い、そこから習慣的に読書をするようにしている。

簡単な本(池上彰など)から読み始め、最近では少々難しい本も挑戦するようになってきた。

 

過去の自分と比べたらいろいろ知識もついたと思うが、インターネットなどでいろいろ見ていると、みんなよく物を知っているなぁと感心する。

 

有名人の方が、

本を1冊書くためには、目安として関連分野の書籍を100冊は読む必要がある、と言われている」

と書いているのを見た時には驚いた。

 

世の中で本を書いている人はそのようなレベルの読書量をこなしているのだ。

そのレベルの人達は学生の頃からきちんと読書をして、どこかの地点で本を書けるレベルに達したのだろう。

学生時代に読書を避けてきた私は、その人達が“今後一生読書しない”限り追いつけなさそうだ。(ありえないが)

 

自分の学生時代の友達に会ったりすると、本を読んでいない友達もいまだに多く、「知識量にかなり差がついてきたなぁ」と思うこともある。

本を読まないと「自分が実際に体験した事が知識の大半」になってしまうので、他人の経験を吸収している読書家に追いつくには相当いろいろ経験しなければならない。おそらく不可能だ。

 

今でも自分のレベルを超える本に手を出してしまい、なかなかページが進まない時もある。

しかし過去に読んでみたが全く理解できなかった本を再度読み直し、理解できた(少なくとも楽しいと思えた)時には成長を実感してうれしくなるのだ。

ワーキングホリデーに行くならバッパーに泊まろう。だってネイティブスピーカーはそこにいるから。

オーストラリアへのワーキングホリデーを利用した出国者数は毎年10,000人程度だという。

ワーキングホリデーに行く理由は様々ありそうだが、

英語が話せるようになりたい!」という理由の人も多いだろう。

しかし残念だけど、1年(長くて2年)海外にいるくらいでは、ペラペラになることはない。

(現地校に行き、完全な英語生活が実現できれば、ものすごく伸びるとは思うけど、その環境は作れない)

現地の生活を通して、「英語という環境に慣れる」というだけで、思っているほど会話ができるようにはならないのが現実だ。(自分の言いたいことが言えない、という環境に慣れる)

 

しかし、「ペラペラにはなれない」というだけで、

「結構コミュニケーションが取れるようになる人」と

「全くダメで挫折して、日本人コミュニティの中で全期間を過ごす人」という差は出る。

 

少しでも当初の目的を達成するためには、どれだけ多い時間、英語に接することができるかが重要になってくる。

 

そこで私がおすすめしたいのは語学学校に行かないで、

英語はネイティブの旅行者との生活で覚える方法だ。

この方法が現地校に行く、「英語漬け生活」に1番近いと思う。

 

まず語学学校の場合は、

①語学学校は金がかかる。

②語学学校には語学を習う人=英語が喋れない人しかいない

日本人コミュニティが形成される可能性が非常に高い。

 

私もオーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがある。

最初の滞在先のメルボルンでは「ホームステイをしながら語学学校に行く」というお決まりのコースでスタートした。

右も左も分からない状態だったので、語学学校以外の選択肢は検討もしなかった。

語学学校には「英語が話せない外国人」がたくさんいて「お互いに片言の英語」でコミュニケーションが取れることを楽しんでいた。

しかし、私も最初のうちは日本人以外のアジア人(韓国人や台湾人、タイ人など)とのコミュニケーションでも満足をしていたのだが、1ヶ月もすると...

 

いつオーストラリア人(またはネイティブ)と仲良くなるのだ?」と焦りだした。

 

そのうちに日本人コミュニティの人(日本人とばかりいつもいる人)から「桃鉄桃太郎電鉄)やろうよ」とのオファーを頂いた事が私に最初の滞在地だったメルボルンを離れることを決意させた。

メルボルンに滞在して、2ヶ月半過ぎた頃くらいだった。

飛行機に比べて安価だという理由で、バスのチケットを購入し、12時間かけてシドニーに到着した。

そして重い荷物を置きたいので、すぐにバックパッカーズホステルを探した。

最初の宿泊先のバックパッカーズホステルでは、ラウンジルームに積極的に顔を出し、宿泊者とのコミュニケーションを図ろうとした。

しかし最初の宿泊先は活気がなく、ラウンジに人もあまりいない状態だった。

勇気を出してドイツ人の2人組に話しかけてみたのだが、あまり反応も良くなかった。

なので次の日にすぐにチェックアウトして、新たな宿泊先を探した。

シドニーのキングス・クロスという繁華街にたくさんバッパーがあるらしいので、そこに向かうことにした。

しかし重い荷物と共に移動するのは大変で途中にあるバッパーに宿泊することにした。

 

そしてたまたま入った次のバッパーが大当たりしたのだ!

 

宿泊者の7割近くがUK(イングランドスコットランド)出身者で構成されており、私の部屋は4人部屋で、マンチェスター出身の2人の男性とグラスゴー出身の男性との相部屋だった。

彼らは旅行者であり非日常を求めている。そんな中アジア人であることは大きな武器である。

何もしなくても興味を持ってもらえるのだ。

「飲みに行こうよ」などのお誘いがあるので積極的に参加していた。

私は体調が悪いなどの理由がない限り誘いを断らなかった。

やはりノリの良さは大事である。

なんせ彼らは旅行中だ。

楽しむことが目的だろう。

そして積極的に参加していると次第に他の部屋の知り合いも増える。

また、ネイティブの彼らは私達と違ってあまり自国でお金を貯めて来ない。

オーストラリアで仕事を探して、旅費を貯めるのだ。

そのためバックパッカーズホステルのような安宿に2〜3ヶ月ほど滞在している人も多く、顔馴染みになっていく。

ただ、アジア人というだけで仲良くしてくれる訳ではない。

シャイな人や誘いを断る人は仲良くなれない。

彼らもアジア人が珍しいから「少し興味がある」というだけで、つまらない人と思われたらその後の誘いはなくなる。

目的だったネイティブとの生活を手に入れ、生きた英語を聞くことにより語学学校の何倍もの成果を実感していた。

そんな生活を2ヶ月ほど続けた後、ホステルで仲良くなった人達がある程度お金が貯まったようで、シドニーを離れるという。

私は完全なお荷物なので連れて行ってくれとは言えなかったのだが、彼らからの「もしよければ一緒に来ないか?」とありがたいオファーを頂き、その後の4ヶ月ほどを彼らと共に過ごすことになる。

 

シドニー → バイロンベイ → ゴールドコースト → ブリスベン → シドニー(2回目)

オーストラリア東海岸を彼らと4ヶ月間旅行した。

(上記の他にもフレーザー島やバンダバーグで”たまねぎピッキング”なども行っている)

 

話していることの大半が理解できない状況での生活を6ヶ月ほど過ごしストレスもかなりあった。

しかし今でも大変貴重な経験ができたと思っている。

そしてすごく楽しかった。

新年をシドニーで迎えた後、母国へ帰る人、再度お金を貯める人、パースなどの遠くへ行く人と目的がバラバラになったので私達は解散することになった。

彼らとの修行のような、しかしとても充実した日々を終えて私は久しぶりにメルボルンへ向かった。

そして語学学校時代の友人達と再開したのだが、英会話力(話す、聞く)は私のほうが圧倒的に成長していた。

メルボルンを離れなかった彼らは自然とコミュニティーを作りだす。

そしてそのコミュニティー(日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなど)ではほとんど英語を必要としないのだ。

必要ないことを継続して続けるのはとても大変だ。

そして日々の生活に英語が必要ないなら、それはオーストラリアにいても日本にいるのと大差ないのだ。

 

少年野球はクソだった。

私が所属していた少年野球チームは少子化と野球人気の下落により、現在は母校の生徒だけでは人数が足りなくて、地域の小学校の3つのチームが合併したらしい。

私の時代には1学年上のチームは人数が多すぎるので、2つのチームに分割されていた。1学年で2つのチームが作れたのだ。時代は変わった。

 

ツイッター高校野球について話題になっていた。

少し思い出して書こうと思う。

私は高校野球はやっていないので、少年野球(小学生)をやっていた頃の話である。

 

・・・

 

私は転校生であり、小学4年生から母校の生徒の同学年のみで構成されたチームに入った。

少年野球に入った時にすぐに指摘されたことがある。

髪型だ。

「長い」と。

私がいた少年野球チームの世界では、「坊主」または「スポーツ刈り」が当たり前であり、それよりも長い髪をしているといちいちイジられる。

「長いなー、切ってこいよ」とか、

「カッコつけている」などと言われるのだ。

最初に大人のコーチがそれを言ってくるものだから、チームメイトも便乗して言ってくる。

なので床屋に行った後に野球に行くのは嫌だった。

当時から「(一般的には普通の)髪型が野球に何の悪い影響があるのだ?」と考えていたので、私は散髪後でも他のチームメイトよりも長髪のままだったからだ。

坊主やスポーツ刈りは絶対に嫌だったので、拒否し続けていた。

先述したように私は転校生であり、元々いた小学校は野球クラブなどに入っている人は身近にいなくて、「野球やる=坊主」みたいな環境ではなかった。

それが転校先では「野球やる=坊主(短髪)」の世界だったのだ。

私は適応できず、在籍期間中一度も髪を短くしなかった。

途中からイジられることもなくなったが。

 

・・・

 

また、私の在籍していた少年野球クラブは、実は親からの評判が良くなかった。

しかし転校生だったので、親もその情報を知らず、私が入った後に知ることになる。

 

少年野球はクソだった。という題名なのだけど、以下に理由を書く。

 

【監督、コーチを含めボランティアだが、結局は自分が楽しみたいだけ】

大人の中には「子供達に楽しくスポーツをやらせたい」という気持ちの大人もいただろうが、「プロの監督、コーチの真似事」をしたい大人のパワーに押され、あまり参加しなくなるような気がする。

また、この「ボランティア」が曲者で、お金を支払わない替わりに「協力や参加」を求められる。

(母親曰く)「それならお金を払うほうがマシである」

 

野球に時間を投下できる親が際限なく企画をする

野球は通常は土日と祝日にあるのだが、来るコーチは毎回ほぼ同じで、野球に対して投下できる時間が多い大人だ。

そうすると今度は「平日に朝練しよう」とか言い出すのである。

終いには「朝練に来ないやつはレギュラーになれない」と新たなルールも追加された。

洗濯をしなければいけない母親には迷惑をかけた。

 

そしてコーチの奥さんは「おしぼりを出そう」とか「飲み物を用意しよう」とか無限に手間を掛けようとしてくるようだ。

 

【夫がコーチ、そして息子が選手をやっている母親の幅の利かせ方が強い】

積極的に参加している家族の母親は、休みの日に旦那も子供達もみんな野球をやってしまって暇なので、ほぼ毎回来るようになる。

来るだけではなく、中にはプレーについて指図をしてきたり、自分の息子の待遇についても口を出していたと聞く。

今思えば、毎回参加しているコーチの息子達は、ほぼみんな花形であるピッチャーを経験していた。

当時はあんまり上手くないチームメイトもピッチャーをやっていて「なんでだろう?」と思っていたけど、あれは監督から親への配慮だ。

一方で私の父親は野球クラブとは全く関係を持たず、母親も兄弟の世話があるので時々しか参加できなかったのだが、それも反感を買っていたらしい。

私は内野手のレギュラーだったのだが、他の親からすると全然積極的に関わろうとしない人の息子がレギュラーなのが気に入らないらしく、母親に「何度も嫌味を言われた」と後になって聞かされた。

※少年野球では外野よりも内野の方が球がよく飛んでくるので、外野<内野というヒエラルキーがある。

 

・・・

 

プレーについても無意味なヘッドスライディングや全力ダッシュは必要とされた。

私は元々そういうことをやらされる時に嫌な顔が出てしまうタイプで、一部のコーチから嫌われていた。

「子供らしさがなく、かわいくない」と。

 

結局、私も「あるコーチ」にことあるごとに嫌味を言われ続け、頭にきて辞めてしまった。

辞める時には理由を言わなければならず、

「◯◯コーチにずっと目の敵にされていたのは気付いていたけど、エスカレートしてきて頭にきたので辞めます」

と正直に伝えた。

後日、そのコーチは私の自宅にスーツ姿で謝りにきたが、もう辞めると決めた以上やる気にはなれず、謝罪は受け入れたがそのまま辞めてしまった。

 

・・・

 

野球自体は楽しくやっていたし、チームメイトとも仲良くして今でも交流がある友人もいる。

しかし、これ以降、私はチームスポーツをやることはなかった。

 

一部の暇な親が「監督、コーチ、サポーター」として幅を利かせまくる。少年野球の感想はこんな感じだ。

私の周りでも、高校野球が好きな人は「気合い」とか「逃げたら負け」とか根性論が本当に好きである。

 

一般的には無意味な全力ダッシュは彼らにとっては意味があるのだろう。

 

[追記]

本当にたまたまツイッターのタイムラインを見ていたらこれがあった!

 

肩書きと実力 〜将棋〜

肩書きと実力がイコールとは限らない。

私がそうだった。

肩書き上の私の将棋の棋力は「アマ三段」である。 一応(お金を払えば)日本将棋連盟に正式に認めてもらえる。

しかし棋力判定方法なのだが、「NHK将棋講座の本の中にある問題を解き、正解数によって棋力を認定してもらう」というものであり、対局を通したものではなかった。

一方、対局を通して棋力を認定してもらう方法もある。

「将棋ウォーズ」というアプリでインターネットを通じて様々な人と対局をして勝っていくことで昇級を重ねる方法だ。

こちらでも日本将棋連盟が棋力を正式に認定してくれる。

 

ちなみにこの将棋ウォーズでの私の棋力は初段である。

初段の中では上位にランクをしているが、初段は初段である。

 

肩書きでは「アマ三段」、対局では「アマ初段」というのはやや情けないと思い、二段に昇段してこのアプリをアンインストールしようと思った。

将棋ウォーズは課金なしでは「1日3局」指すことができるが、それ以上対局したい場合、課金(600円)をすれば1ヶ月間指し放題になる。

課金をするかどうかを悩んだが、時間を買おう(早く二段昇段し早くやめよう)と思い課金してしまったのが運の尽きだった....

 

没頭してしまった。

しかも指せば指すほど勝てなくなる。

集中力が続かない中で連戦をして「うっかりミス」でよく負けた。

1日3局は集中するのにちょうど良い数だったのだろう。

将棋という集中力が勝敗を左右するゲームでは集中力の欠如は致命的である。

しかし対局を連続していると集中力が無くなる。

考える事を拒否するというか、考え続けることが嫌になり早く1手を指したくなるのだ。

「脳は疲れるんだな」ということが身にしみる。

 

結果、課金をして対局数のリミットを外したことは「悪手(将棋用語で悪い手)」であり二段の道は課金前より遠くなってしまった。

 

しかも空き時間を将棋に費やしてしまい、他の事が疎かになるというマイナスのおまけ付きだ。

香港旅行記DAY3 澳門特別行政区 マカオ

香港旅行の3日目は「中華人民共和国共和国澳門特別行政区」に行ってきた。

通称マカオである。
100年以上統治されたポルトガルから1999年12月20日に返還された。
ちなみに香港では看板の表記が「広東語と英語」なのだが、マカオは「広東語とポルトガル語」になり、途端に理解できなくなる。

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また通貨も「パタカ」というマカオ独自の物になる(ただし香港ドルも使える)

 

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マカオへはフェリーで1時間ほどで着く。

今回は九龍側にある「チャイナ・フェリーターミナル」からマカオを目指した。(香港島側からもフェリーは出ている)

ちなみにヘリコプターでも行けるらしく、所要時間は15分とのこと。

お金持ちはヘリで移動時間短縮を買い、得た時間を有効に使うのだろう。

 

マカオは一言でいうと欲望の街だ。

マカオに着いたらすぐに様々なきれいな衣装を着た若い女性が現れ、カジノを併設したホテル行きの無料シャトルバスへ案内してくれる。まるでテーマパークの様だ。

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下の写真は観光地。自撮りをしている人がたくさんいた。

 

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よく調べたわけではないが、目に付くものは「カジノ」と「ホテル」と「レストラン」ばかりだった。

観光客にお金を使わせる事がマカオ人の目的の様に見える。

マカオ人はマカオというテーマパークのスタッフで、我々外国人はそこのお客さんだ。

 

マカオの町並みは欲望を隠さず、とてもギラギラしていてすごく面白い場所なのだと思う。

しかし私はこのテーマパークの様な場所に1人で行ってしまったため、マカオが持つ本来の実力を発揮させる事が出来なかったと思う。

残念だ。

ディズニーランドは女性が楽しめるテーマパーク。

独身でお金のある男性が数人で楽しむディズニーランドがマカオだ。

将棋の若手棋士は研究にコンピューターを多用している。

以前、棋士の年齢という文章を書いた事があるのだが、その時からタイトル保持者が変わった。昨日新王座が生まれた。

羽生さんから勝利した新王座はテレビでも活躍している中村太地六段!また若手である。

ちなみに王位も今年の8月に菅井竜也七段が羽生さんから奪取している。

羽生さんはとうとう1冠(棋聖)だけとなった。

tkk193.hatenablog.com

 

AIなどのテクノロジーとの相性は若い人の方が圧倒的に良いのだろう。

 

体力、脳の若さ、勝ちたいという情熱(お金も含む)、独身であり自分の時間を自分の為に使える、などなどは新しいモノに適応する時に大いに影響しそうだ。

 

勝敗がわかりやすく、規制の少ないことはAIなどの技術への適応が上手な人に有利になっているように思える。例えば「コンピューターを使った研究禁止」とか将棋連盟が言い出したら勝率はまた変わってくるのだろう。

 

私は勝率が上がっている20代と下がっている40代とのちょうど間の30代。意識して適応しなければいけない世代かなとも思う。

私の周りにも新しいテクノロジーをなんとなく嫌い、「習字」や「そろばん」などのアナログを急に評価し出した人もいる。

きっと自分のよくわからないモノへの拒否反応なのだと思う。

将棋でもベテラン棋士が「コンピューターに将棋を教えてもらうくらいなら辞めた方がマシ」というような趣旨の発言をしているという記事を読んだ事がある。

本音は「もうよくわからないからついて行けません」だろう。

「これからは日本語、英語はもう終わりで、ロシア語の時代です。勉強してください」とか言われたら誰だって面倒だと思う。でもやらなきゃいけない場合もある。

大きな変化が起こりそうな時、私がまだ30代だったことは幸せなことだ。なんとかついて行きたい。

 

 

上海で詐欺にあったが実は安いのではないか?

たまにテレビでドッキリ企画というものがやっているが、

「自分が仕掛けられたらどんな反応をするのだろう?」

とよく思う。

 

★★★

 

2年前、上海で詐欺にあった。お茶会詐欺というやつだ。ビックリするような金額を請求された。

請求額は3万円。よくわからないお茶や烏龍茶を信じられないような金額で買う羽目になった。

旅行初日だったこともあり、直後はたしかに落ち込んだのだが、数時間くらいで考えが変わった。

 

「本物の詐欺を体験できたことはすごく価値がある」

 

例えば、私達はお化け屋敷などで恐怖を体験できるがあれは作り物だ。

安全が確保されている上でのアトラクションとしての恐怖である。

しかし私の詐欺体験はリアルだ。

自分が詐欺にあったとき(緊急事態でもよい)にどんなふうに対応するのか、意外と自分でもわからないものだと思う。

パニックになるのか、怒り出すのか、泣き出すのか....

詐欺に気付いた時、私は意外と冷静だった。その時考えていたことは、

「一番大事なのは命だ。なるべく穏便に済ませ、早くこの場から離れよう。」と考えていた。

詐欺に気付いている素振りも見せずにさっさと会計を済ませ、笑顔でさよならした。

 

詐欺という緊急事態でも自分が冷静でいたことは結構嬉しかった。

今後何か緊急事態があってもパニックにならないかも知れないし、詐欺に関しては1度経験済みなので、多少免疫ができた可能性もある。

 

とはいえ、この体験は脳へのインパクトも大きかったのだろう。上海旅行で一番印象に残っている。

 

私の思い出にしておくだけでは"もったいない"ので、機会があればなるべく人に話している。雑談をしている時に話すことが多い。

 

私は3万円で「詐欺体験ネタ」を仕入れ、他人に話して楽しんでもらうことで回収しているつもりだ。

失敗したらその体験を調理して、他人に話して楽しんでもらえばそれでいい。

みんなが興味を持ち楽しんでくれたなら3万円など安いものだ。