香港旅行記DAY1
深夜便で香港到着。
香港時間の朝4時ごろ着いてしまったので、空港内で睡眠できる席を探すもどこも満席。たまに空いている場所もあるが、席と席の間には手すりがあり、それが邪魔で横になって寝れない。
たまに手すりがない席があり、そこはベッドのように寝れるので快適そうだ。先約がいて私は使えないが。
※この写真は空港を出るときに撮ったやつ。
ラウンジも試みたが高くて断念。
値段は忘れてしまいました。
プライオリティパスがなくても利用可能だが有料。
仕方がないので木でできた硬いベンチで寝る。
熟睡している人もいるようだが私はすぐに起きてしまった。
朝6時になると空港の電気がつく。薄暗かった空港内が明るくなったので眠ることを断念してマックでラテをゲット。
マックはどこの国でも行列だ。チェックインは14時。一か八かアーリーチェックイン可能かどうかのメールを送る。返事なしだ。
※後で不可との返信があった。
もちろん香港に着いた途端から英語を使うのだが言葉が全く出てこない。
「プライオリティパス」を何度もつっかえながら言った。
徐々に慣れていくのだろうか。まだDAY1だ。
★★★
今回は香港エクスプレスで来たのだがなんと往路は100円!キャンペーン中だからとのこと。
なので深夜便にも関わらず、ほぼ満席だった。
★★★
話は変わるが暖かい国ではありがちなのだろうけど、室内が寒すぎ。特に空港内を移動したバスは極寒だった。荷物を減らすために上着0で来たことを後悔する羽目に。
外国に来ると日本の常識が世界の常識ではないことに気付かせてくれる。
もちろん来た瞬間に日本のいいところをいくつも気が付く。
1つは同じ国際空港でもトイレは羽田の方が全然きれいだった。
学校と独学
大衆メディア(主にテレビ)に騙されないことは大事なことかもしれない。発信者は何か裏に意図がある可能性が高いだろうから。
テレビは最近あまり観ていないこともあり、得る情報も限定的になっている。
その代わりになっているのが、書籍とネットだ。
ネットの情報は玉石混交であり、あまり鵜呑みにしない人も多いだろう。
しかし私は自分が購入した本の内容を信じてしまう。無条件に。
その本の内容について「基本的な事を知っている」とか「自分の考えをある程度確立している」ことに関してはもしかしたら大丈夫かもしれない。
しかし自分がよく知らない分野の話は無条件で正しいと思い込んでいるのだ。
違う本を読んだ時に他の著者が正反対のことを言っているのを見たとき、自分の意見がないことに気付く。どっちも正しく思えてしまうからだ。
例えば、
英語の本読んだ→これからは英語の時代だ→ヤバイ!準備しなきゃ!
他の本を読んだ→自動翻訳の向上により言葉の壁はなくなる→英語の心配はしなくても良さそうだ。
こうなってしまうのは、自分なりの意見がないからだろう。
勉強ができる人が社会人で成功するとは限らない。なぜなら正解を教えてくれないor正解がないので、自分で(自分なりの)正解を見つけなければならないから。
というのをどこかで読んだことがあるが、私にはどの情報が自分の思っている正解に近いのかを判断する基準が必要だ。(特に勉強ができるわけでもないけど)
前に資格試験の勉強をしていた時、1つは学校に行って勉強をしていた。次の資格は独学で勉強した。
そこには大きな違いがあった。
独学は勉強するだけでなく、
「教科書選定」、「勉強する順番」、「1日の何時間勉強するか」、「モチベーション維持」など目的を達成するために必要なことが何なのかを見つける、計画する、実行する必要があった。
それに比べて学校は、「勉強以外のことはお金を払い外注して自分は勉強に集中する」というものであり両方経験した私の感想は、「学校行く方がかなり楽」。
学生と社会人も似たところがあるような気がする。
情報収集=教科書選定
といったところだろうか。
怖いところは、
独学の場合、教科書選定で選んだ教科書が間違っていたことに気付くのは結構その教科書を読んだ後なのだ。
本音を言う人、言われる人。ストレスはゼロサムである。
後日ツイッターで似た趣旨のツイートを発見したので貼り付け。
140文字で表現するとこれ!
世の中で成功しているように見える人の大半は、誰かに迷惑をかけてる。
— 塩谷 舞(mai shiotani)💭 (@ciotan) 2018年10月5日
ワガママだったり、勝率の低そうなことをすぐに辞めたり、チームを振り回したり、ごはん食べなかったり。
でも世の中のメディアはそういうところは伝えてくれないから、ハタから見たら、完璧なスーパースターみたいに見えちゃう
子供は眠い時やお腹が空いた時、気に入らないことがあった時などに泣いたり、大きな声を出したりしてそれを伝えようとする。
不機嫌さを隠さない。
そのやり方はすぐに相手に伝わるが、あまりにダイレクトな為、受け取った大人の私たちはとても疲れる。相手が子供だから我慢しているだけなのだ。
大人は通常、怒りや不満を子供ほどダイレクトに表に出さないので、相手はそこまで疲れないが、本人は全てを吐き出すことができないのでストレスが溜まる。
しかし100%はあえて伝えない。
ホリエモンの著書などを読むと
「本音を言おう」という趣旨の内容があるが、本音を言っても生きていける理由は、
他の部分が他者を圧倒しているので、許して貰えるのだろう。
普通の大人が本音で生きたら「相手が許容できるストレスのレベル」をすぐに超えて関係を終わらせることになる。
例えば私がテレビや雑誌などの大衆メディアの言うことを聞かないで、インフルエンサーの言うことを鵜呑みにしてそのまま実行したら多分ヤバイ。誰も相手にしてくれないだろう。
結局はどの情報でも自分の立場や性格などを考慮して参考にしないといけない。
スポーツで例えるとわかりやすい。「得点王」や「替えの利かない選手」がワガママを言っても許して貰えるけど、補欠や代わりはいくらでもいる選手がワガママを言ったらクビだろう。
本音を言ってストレスが(解消されて)溜まらない分、言われた方はストレスが溜まるのだ。
ゼロサムである。
本音を言うことは私にもできる。
しかしそれを言っても許して貰える実績はまだない。
食洗機を買って少し幸せになった。
とうとう買ってしまった。
食洗機。
これによって皿洗いから完全に解放された訳ではないのだが、以前よりもかなり楽になった。
家を買った複数の知人も食洗機を導入していることが多いのだが、あまり使っていないようだ。便利なのになぜだろう?
たぶんキッチンの質の問題だと思う。
私は賃貸物件に住んでいるのだが、普通の賃貸物件のキッチンは一軒家や分譲賃貸に比べてショボいので、シンクが狭い、置き場所が少ないなど洗う作業場の問題が多かった。
広いキッチンならばそこまでストレスにはならないのだろうか?
皿洗いが私の担当になって約1年ほど。
「家に帰ってご飯食べたら皿洗わなきゃいけないんだよな」は実際かなりストレスになっていた。
休日にどこかに出かけた際、夜飯を外食にするか家で食べるか微妙な時間帯の時、「夜ご飯も食べて帰ろうか?」と提案することも多かった。理由は皿を洗いたくないからだ。
電気屋に行けば食洗機が気になり、家でも夜な夜なネットで調べていた。
最初は「ウチには食洗機が置けるほどのスペースはない」と勝手に思い込んでいた。しかしよくよく調べてみるとキッチンカウンターに置けそうだ。必要な幅は27センチ。ウチのキッチンカウンターは30センチ。
すぐにでも皿洗いから開放されたい思いから、置けるとわかったらすぐ行動した。
大型の電気屋に行き、購入して取付け日を決めた。
予定通り取付けをして費用は工事費込みで約8万円。
...安くないか?
毎月かかる訳ではない、導入費用だ。
私にとって狭いキッチンでの皿洗いは苦痛だった。食洗機のおかげで苦痛から解放されたことは最高だ。
「やりたいこと」をみつけるのは意外と難しい。しかし「やりたくないこと」は結構見つかる。
そのやりたくないことの1つは皿洗いだ。
食洗機を導入してから2週間ほどたったが、導入前より少し幸せになった気がする。
幸せになる方法はいろいろあり、やりたくないことをやらないで済むことも私を幸せにしてくれた。
ちなみに食洗機を買ったことを友人に話したら、「いくら?」と聞かれ、「8万円」と答えたら高くてビックリしていた。
私は全然高いと思わなかったので、お金の価値観は人それぞれ。
また、自分で洗った方が「速い」とスピードの話になることもあったが、私は“速く終わらせたい“訳ではなく”やりたくない“のだ。これも価値観の問題だろう。
今回の食洗機導入に関して我が家では「高い、安い、速い、遅い」等の話になることはなく、すんなり実行できたが、価値観の不一致からすんなりいかないケースもあるだろう。
皿洗いも面倒だが、そんなことで揉めるのはもっと面倒だ。回避できて良かった。
30代で変わるのは見た目だけじゃない。立場だ。
「コンディション調整ってなんですか?」
私は20代中盤だった頃に質問したことがある。
しかし30代中盤の今、そのような質問はしないだろう。
今はコンディションが悪い日は自分自身がほとんど使い物にならないからだ。
寝ない、食べない、酒をたくさん飲む、前日に無理をする...
このようなことをするとコンディションが悪くなり明らかにパフォーマンス(活動の質)が落ちる。
「コンディション調整ってなんですか?」は若い時はコンディションがあまり悪くならないから実感がなく聞いていたのだ。
今は徹夜や二日酔いは「聞くだけで疲れる」ワードだ。
30代中盤を超えると身体の調子を整えておくことも大事な仕事になる。
よく若いときに
「若いね。年取ったら疲れやすくなるよ。」
「若いね。今だったら何でもできるね。」
とか言われると思うけどアレ本当だ。そして私も同じことを若い人に言っている。
30代は見た目だけでなく立場も変わる
また実際30代になってみると、20代の時思っていたよりも大変なのかもしれない。身体が衰えるだけでなく役割が増える。
例えば、
①親から見て私は子供。
②子供から見て私は親。
③奥さんから見て私は旦那。
④上司から見て私は部下。
⑤部下から見て私は上司。
いつの間にか自分は何役もこなしていた。そして30代の男は誰かに頼るよりも頼られることの方が多い気がする。
サッカーの岡崎選手(レスター)がプレミアリーグで優勝するなど、イギリスで活躍しているが、実は岡崎選手は現在単身赴任中だ。
「サッカー選手は、いつもどこかでプレッシャーを抱えている。その中で、いつも家族と一緒にいればお互いが気を遣ってバランスが崩れてしまう。サッカーに集中して、家族といるときは子どもたちのために全力で遊んで過ごす。そのバランスが、いまはちょうどいい。」http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0612/
単身赴任とは、
①親から見て子供。
②子供から見て親。
③奥さんから見て旦那。
の役割からある程度解放されている状態だと思う(もちろん100%ではないが)。
解放された部分はおそらく奥さんが補っていたのだろう。あの活躍の裏には「集中できる環境を用意する」奥さんの協力が不可欠だったのかもしれない。
基本的には30代で「自分のことだけに集中」できるような人は稀だ。
「若いね。今だったら何でもできるね。」は体力的なことだけではなく、
「自分のことだけを考えていても許される立場」という意味もあると思う。
色々大変なので身体のメンテナンスは大事
20代の時よりも責任が増え、役割も増える30代を乗り切るにはやはり身体のメンテナンスは必要だろう。
私の中での自分のコンディションを測る指標としては「体重を適正体重に近い数字にする」を大事にしている。体重は僅かな変化でも数字に出るので、コンディションを測る上では、わかりやすい。
過去に1年で15キロほど太ったことがあるのだが、いろいろ不便だった。全くの別人になってしまう。
・体が重いのですぐ疲れる。
・すぐどこか痛くなる。
・足の爪が切りづらくなる。
・何を着てもカッコ悪く見える。
・たまたま鏡に写った自分を見て少し落ち込む。
など本当に1つもいい事がなかった。
その頃は洋服を買おうと思っても
「すぐ痩せる予定で、サイズが合わなくなるから」
とユニクロばかり買っていた。結局、体重を落としてキープするのは何年か後になってしまったけど。
20代の若い時期に数年ほど太ってしまったのは少し後悔している。
その経験を活かしてこれからはちゃんと身体をメンテナンスして行きたい。
あともうひとつ。私は30代中盤になった今、カズこと三浦知良選手が今もプロでやれているのは本当にスゴい!と尊敬するようになった。
★★★
[追記]
私が言いたかったことはこれと同じです。
ブログを書いてみたらよくわからないウソをつく友達のことが理解できた。
私の古くからの友達が「誰も得をしないウソ」を昔からよくついている。
騙そうという意図があるというより、よくわからないウソをついて、驚かせようとしている。
どうでもいいウソだし、騙そうという意図はなさそうなので、
「なんでこんなどうでもいいウソをつくのかな?」
とは思っていたが、たいして気にもしていなかった。
でもブログを書いてみて彼の気持ちが少しわかった気がする。
それはこの間、似たようなブログを読んだからだ。
タイトルが面白そうだったので読んでみたらオチは「夢」だった。
なので全て作り話なのだが、その話は現実でないと意味のない内容だった。
つまり読んだ人はガッカリしたはずだ。
★★★
ブログへのアクセスが少ない時に
「どうすれば?」と思う。
面白いものを書くのが正解だと思うが、それができれば苦労しない。
そんな時、ものすごくインパクトのあるタイトルにして、適当に話を作り、最後に夢でした、
としたくなるのもわからなくはない。
ウソをつく友達は本当の話をするよりも作り話をした方が周りの反応が良いのでやっていたのだろう。
気持ちはわかる...わかるが、それはやっぱりダメな気がする。
スポーツならドーピングだ。
その方法は何度も使えないし、信用と引き換えだ。
みんな考えて、悩んで、解決方法を模索するはずだ。
そんな中、自分が採用した解決方法が「ドーピング」や「ずるいやり方」などだったら自分に失望するかもしれない。
...しかし「勝てば何でもOK」という考え方もあり、真面目に負け続けるのとズルして勝つのはどっちがいいのかわからない。人によって違うのだろう。
1番良いのは「真面目に勝つこと」なのは間違いなさそうだ。
オリンピック出場か金メダルか。
僕もふくめて、多くの人は、自分の金と自分の自由な時間の最大化のためにビジネスモデルを作ってしまっている。だから、ダメなんだ! 最初から、世界に衝撃を与えるためだけにすべてのリソースを投入するべきだった。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2017年8月25日
★★★
人生の満足度は
「自分のポテンシャルを発揮できているか」
によるのかもしれない。
頭の飛び抜けて良い人は世界を変えるくらいのことをやらないと満足できなそうでもある。
芸能人レベルのハンサムや美女なら一般人でいることに満足しないのかもしれない。
「ビジネスで成功すること」や「アナウンサーになること」が最終的な目標である(満足できる)人は多いと思うが、上記に紹介した例の人はそうではなかったのだろう。
「オリンピックを目指す人」と「金メダルを目指す人」がいるのと同じようなものなのだろうか?
「自分は金メダルを目指せるポテンシャルを持っている」と思っていれば、「オリンピック出場」では満足できないのだろう。
自分自身が「満足する」か「満足しない」かはコントロールできないし、その状況になってみないとわからない。
アナウンサーの女性も最初はアナウンサーになりたかったのだろう。しかしなってみたら自分が満足していないことに気付いた。
結局は自己満足できるかどうか。
私は才能のある人が羨ましい。
しかし才能がある自分を満足させるには多大な努力をしないといけない。
テレビを観ながらお酒を飲んでいれば本当に幸せ、という自分で生まれるのと、
世界を変えたい、という自分で生まれるのはどっちが幸せなのかは難しいところだ。