私は奢られるのが好きではない。

「コーヒーいる?」と聞いてくる人がいる。

「きっと飲みたいでしょ」と何も聞かずに作ってくれる人もいる。

皆さんはどちらが嬉しいだろうか?

実は私は前者なのだ。

私は「コーヒーいる?」と聞いてもらいたい。

 

★★★

 

外食をした際の会計時に、

「今日は奢ってあげるよ」と言われた時、普通は嬉しいと思う。

でも私は人に奢られるのが好きじゃない。

少し性格が悪いかもしれないが私はこう思っている。

「頼んでいないことをやってくれる人はサービスの押し売りであることが結構多い」

なぜなら、いつかそれはサービスを受けた方がサービスを返すことによって最終的に「交換」されるから。

積極的に何かをやってくれる人がいる。それはそれで良いことだとは思うのだが、あえてひん曲がった性格で見てみたい。

おそらくやってくれている方(Aさん)は相手(Bさん)のためになっていると思っている。

Bさんはありがたいかもしれないが、特に頼んでいたわけではなかった。

そうすると、誤解が生まれ出すと思うのだ。

Aさん自分はいい事をやっていると勝手に思い込んでいる場合がある。

その場合、結果的にAさんの頼みをBさんは断れなくなることが多い。

(断れないわけではないが、その場合関係が持続しないと思う)

例えば人にご飯奢るのが好きな人がいる。たまに会ったりした時に奢ってくれる。
奢った方は奢ったという認識をもっている。

そうすると奢った方奢られた方に何かを頼んだ時に奢られた方は断れるだろうか。

もし断ったらきっと、

「あんなに奢ってやっているのに!」と怒りだすだろう。

実際、私の友人に奢ることが好きな人がいる。その友人が他の友人に

「車で駅まで迎えに来てくれ」

と頼んだら断られたという話を私にしてきた。

その時に

「奢ってやっているのに」と言っていたのだ。

しかし奢ってもらった代わりに何かをやらなきゃいけないならただの交換だ。

私の周りの奢りたがりの人とか、頼んでない物を買ってきてくれる人は自分で気付いていないかもしれないが、最終的には交換になっている場合が多い。

マクドナルドが勝手にハンバーガーを食べさせてくれて、後日「ちょっと洗い物手伝ってくれない?」となったらどうだろう?嫌じゃないだろうか?

「交換ならいいじゃないか」と思う人もいるだろう。

しかしタイミングの問題がある。

先にやる方は「自分のタイミング」でやるのだ。相手は頼んでいるわけではないから。

しかし頼まれた方は「相手のタイミング」なのだ。ここに大きな差があると思う。

「こないだ奢ってやったんだから駅まで迎えに来てよ」が、余裕のあるタイミングではない可能性もあるのだ。

これが「私は奢られるのが好きではない」理由である。

ショッピングモールの閉店を見て失業が理解できた。

近隣にショッピングモールが3つほどあり、ローテーションで行くのだが、先日行ったモール内の店が閉店していた。

たまに閉店をしているのだが、そのほとんどが

「これ、なんの店だっけ?あぁそんな店あったよね」

という感じの店だ。

あまり人気がない店でスタッフも暇そうにしている店が、一定の期間を過ぎると撤退している。

客としては新しい店が何の店なのか気になる。

 

★★★

 

そしてこれを思い出した。

社会が発展するためには時代に合わなくなった会社が倒産したり、不必要になった産業で働いていた人が失業するのはどうしても避けられないことで、そういった衰退産業を補助金や不必要な規制などで延命するよりも、むしろ倒産や失業を積極的に受け止めて、それによって余った労働力が次の成長産業にスムースに移れるような仕組みを作るべきでしょう。

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門

藤沢数希 著

 

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門 もう代案はありません

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特に誰も必要としていない(もしくはごく少数)の店舗が残り続けるよりも、新しい店が入ってくれた方が客は全然嬉しい。

人気のない店のスタッフは暇そうだし、場所も人材も価値を提供できない状態になっている。

おそらくスタッフの努力の問題ではなくて、出店した場所か売っている商品(もしくは両方)が悪いのだろう。

ショッピングモールの様に店がいくつも集まる場所は興味のない店は来店しても一瞬、もしくはほとんど素通りされる。そして1度つまらないと判断されてしまうと再来店は難しい。

ショッピングモールの利用者から見れば、その店はあってもなくても同じ。もしかしたら新しい店が入る可能性を消しているのでマイナスである。

なので、

・働いていたスタッフは他の店もしくは他の事をする。

・場所は新しい店に譲る。

・新しい店が良ければ客は喜ぶ。

である撤退は正しい選択だと思う。

 

 「ショッピングモール側がテナントに金を渡し(賃料の減額など)、客はいないのに延命し続ける」をやられたらやっぱり客のためにはならない。

 

「ミクロで正しくてもマクロではそうとは限らない」合成の誤謬があり、全てに当てはめるのは難しいとは思うけど、ショッピングモールというミクロの世界ではやはり人気のない店の撤退は正しい。

合成の誤謬 - Wikipedia

「物欲」は減少中だが、「めんどくさいことはしたくない欲」は増加中である。

最近良いモノを買った。SONYnasne

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これを買って以降、

 

スマホで録画予約ができるので外出先でも予約ができる。

iPadでテレビを視聴出来るようになり、部屋にテレビを置く必要がなくなった。(別途課金必要)

・テレビ台や配線もない。

 

と自分が求めていたことが2万円ほどで一気に手に入ってすごく満足している。

私が観たいテレビは「週に4~5時間」くらいなので、そのためにテレビ、配線、必要によってはテレビ台やレコーダーを買い、部屋に置いておくのは気が進まなかった。

良い買い物をした時はすごく嬉しい。

お金は稼ぐよりも上手に使う方が難しいと聞いたことがあるが、求めていたことが現実にできる商品やサービスを買えた時は上手に使えたと思える。

そこそこ満足するモノを買うことは割とあるが、「いやーこれは良いな」と思えるモノを買えることはあまりない。

物欲もどんどん無くなり、「今欲しい物は?」と聞かれても

「疲れない体」とか「自由に使えるまとまった時間」とか非現実的なことしか思い浮かばなくて少し残念なのだが、

こんな問題があって、こう解決したいのでそのための商品を探そう!といろいろ調べると結構その商品は存在するのかもしれない。

ただ、「調べて」、「探して」、「見つけて」、「買って」、「箱を開けて」、「設置して」、「設定して」、「片付けて」、「最後にゴミを捨てる」

をすると思うとめんどくさくてしょうがない。

今回のnasneも実際購入に向けて動き出すのに結構時間がかかった。

           

★★★

 

昔、テレビで芸能人のマネージャーが担当芸能人の引越しの手配や買い物、その他身の回りのいろいろなことをやってあげているのを観て

「なぜ芸能人のマネージャーはここまでいろいろやってあげているんだ?それくらい自分でやればいいのに」と思っていたが、私が間違っていた。

今、私は「めんどくさいことは全てやってもらいたい」と思っている。

「テレビをiPadで観たいから探して買って設定してゴミも捨てといて」と本当は言いたい。

 

物が溢れる時代を生きてきて物欲はなくなってきてしまった。

昔に比べたら便利なモノがいろいろあり随分生活は楽になったと思うけど、めんどくさいことをやりたくないという欲は全然なくならない。

「物欲」はなく、「めんどくさいことはしたくない欲」はあるのだから、結局はモノを買わない選択をすることが多い。

モノを買ったらゴミ捨てまでしないと最後はゴミ屋敷になってしまうのだ。

同一労働同一賃金の世界で私の時給は300円。

”Gengo”というオンライン翻訳サービスを知っているだろうか。実は私はそこのトランスレーター(翻訳者)だ。ほとんど翻訳をしていないので名乗っていいのかわからないが...(たぶんダメ)。

オンラインでテストを受けることができるのだが、合格してしまったのだ。StandardとProがあり私はStandardに合格した。

これで私も翻訳者だ!副業にしよう!やはり合格は嬉しく、やる気もみなぎっていた記憶がある。

ちなみに、Gengoのトランスレーター試験の合格率は約7%との記述があり、そんなに簡単に突破できるものでもなさそうだ。

gengo.com

 翻訳者としての活動

しかしすぐに暗雲が立ち込める。

「受注できる案件がありません」

掲示板に仕事が紹介されるのだが、全然ないのだ。それでもしばらく掲示板を見続ける。やはり仕事がない。

調べたら仕事があったらメールでお知らせしてくれるように設定できることがわかりひと安心。メールを待つ。

 

メールが来た!よし掲示板だ。

 

「受注できる案件がありません」

 

私がメールを受信してから、掲示板に行く間にすでに誰かが受注してしまったようだ。すぐ掲示板に行ったつもりなのだが...

このようにそもそも仕事を受注しようとしている翻訳者が多いので取り合いになる。カゴの中のバーゲン品を取り合うイメージだ。たまに誰にも受注されずに放置されている案件があるがそれは内容がメチャクチャで誰も翻訳できないような案件だ。

案件受注を目指し、しばらく掲示板に張り付いてようやく難易度の低そうな仕事をゲットする。

翻訳は結構大変だった。

「星占いの内容を英語から日本語にする」案件だ。報酬は3$(300円)くらい。

実際に翻訳をしてみたら結構大変だった。

翻訳した内容に間違いはないか、

誤字脱字はないか、

納期は守れているか、

などを確認していざ提出だ!

結果、1時間かけて300円を稼いだ。私の能力の低さに絶望した。

これがグローバリズムの洗礼か...。

仕事である以上、納期と品質を守る必要があり、覚悟がなかった私はそのプレッシャーから結局翻訳者としては挫折してしまった。

そもそも自分で翻訳するのが難しいから発注するわけである。なので内容の難しい案件が多い。私のような三流翻訳者では歯が立たない。

また案件には納期があり、それまでに仕上げなければならない。よって受注したらすぐ作業に取り掛かる必要がある。翻訳スキルが高く、早く終わらせることができるなら別だけど。

また英語を日本語に翻訳してほしい人は外国人がメインだろう。なので時差がキツイ。

この経験を通じて私は「日本人であることで非常に優遇されている」ことに気付く。同一労働同一賃金の世界では私が現在受け取っている給与は適正なのかどうかは疑わしい(もらいすぎ)。

Gengoでのトランスレーター体験でお金を獲得することはできなかったが、同一労働同一賃金経験」を獲得できた。

そしてそれはお金より価値のあるものなのかもしれない。

 

人気者になろうとするのはハイリスク・ハイリターン。 成功すれば得られる幸福は大きいが、失敗すればたくさんの不幸を味わうことになる。

私は緊張していた。

滅多に顔出しをしない作家を実物で見ることができるからだ。

私は橘玲さんのトークライブに行ってきたのだ。

彼の著書は多数読んだことがあるのだが、全く顔を知らないので、「実は有名人が偽名で活動してたりして」など勝手に想像していた。

橘さんが顔を出さないのには理由がある。簡単に説明すると、

プライバシーには大きな価値があり、放棄するともう二度と取り戻せない

プライバシーの放棄が前提となる職業(芸能人やスポーツ選手)の報酬が高額になるのは、成功の代償として失うプライバシーの価値が大きいから

 

匿名という「自分の身勝手」を優先する以上、制約も課していると言う。

自分自身の体験のみから語ること

制度を批判することはあっても、それを担う個人を批判しないこと

 

そのトークライブと最新刊の幸福の「資本」論の内容を踏まえて少し書きたいと思う。

 

無意識はコントロールできない 

 

「お金がない」「病気である」「友人(仲間)がいない」

          ↓

お金がないと物々交換ができない状態になり死ぬ可能性がある。

病気は対応しなければ死ぬ可能性がある。

友人(仲間)がいなければ協力が得られなく死ぬ可能性がある。

なので人間は

お金がない  ⇒ アラート(警報)が鳴る。

病気になる  ⇒ アラート(警報)が鳴る。

仲間がいない ⇒ アラート(警報)が鳴る。 

 

今の時代はもしかしたら仲間ゼロでも何とかなるかもしれないが、長寿である人間は進化に時間がかかるので、現代でも脳は石器時代に最適化されているという。石器時代は群れで生活することで協力し合い、群れからの追放は死と直結する状態だったであろう。自然の動物と同じ状態なのだ。

人間は無意識に「お金がない」、「病気である」、「仲間がいない」をそれぞれ区別することなく、全て「命の危険がある状態」としてアラートを鳴らしてしまう。

 

「このままでは死ぬ。なんとかしなさい。」と訴えかけるのだ。

 

橘玲さんはVRを体験すると「無意識の強力な力」を感じると言っていた。

説明のあったVR体験は次のようなものだ。


「VR ZONE Project i Can」極限度胸試し『高所恐怖SHOW』体験レポート

「高所(ビルの上)に橋を架けその先にいる猫を抱き戻ってくる」というミッションだ。

やってみると怖くて動けないという。実際は高い場所にいるわけではないのは意識で分かっていても、視覚が無意識に働きかけ怖くて動けない。橘玲さんは「周りに見ている人もいたので」と頑張ってトライしたそうだが、バランスを崩したら本当に失神してしまう人もいるそうだ。

「あなたはヴァーチャル体験しているのですよ」といくら言っても無駄なのだという。

違う言い方をすれば、「お金がない人」や「仲間がいない人」にいくら「大丈夫だよ」と言ったところで意味がない。

無意識が生命危機だと判断してしまうと「なんとかしなさい」とアラートが発せられてしまうのだという。

幸福を放棄して不幸にならない戦略

 

最初にやることはこのアラートを止めること。橘玲さんの提案は、

お金(金融資産)⇒ 金融リテラシーを身に付ける。

自分(人的資本)⇒ 好きなことに集中する(自分のキャラでないことはやらない)。

仲間(社会資本)⇒ 数人の親密になる関係以外はお金を介した関係を構築する。

人間関係は数人の親密な関係(家族と恋人)以外はお金を介したヴァーチャルな関係を構築を勧めている。

理由は、

お金と健康を除けば人生の問題のほとんどは近しい人とのこじれた関係(人間関係)から生じる。

幸せは社会資本(人とのつながり)からしか得られない。でも不幸も社会資本からしか得られない。

なので私は「人気者になろうとするのは社会資本を増やそうとするハイリスク・ハイリターンな戦略である」と思う。

話題になった「嫌われる勇気」にも

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

という記述があったが、幸も不幸も結局は人との関係によって決まる。

成功すれば得られる幸福はたくさんだが、失敗すればたくさんの不幸を味わうことになる。

橘玲さんの主張が新しいのは「だから人に優しくしましょう」とか「嘘をつかない」とか誰でも思いつきそうなものではなく、

親密な関係はほどほどにして、お金を介した”弱い”人間関係の構築を提案していることだ。

私自身も理解できる経験がある。テニススクールでテニスをやっているのだが、一緒にやっているメンバーのプライベートなことをほとんど知らないのだ。

職業、年齢、家族構成など何も知らずに、ただ「一緒にテニスをやることが目的」で集まっており、「飲み会」や「今度プライベートでテニスをやりましょう」という話にもならない。特に男性はその傾向があると思う(女性にはたまにプライベートな質問をされることもある)。実際かなり楽な関係であり、人間関係の悩みもない

このような弱い(趣味とかを通じた)つながりをもう少し増やせば、必然的に親密なつながりに割り当てられる時間も減少する。なので今後、「弱いつながり」が「私のつながりの全体に占める割合」は増える可能性もあるのだ。

 

興味があったら読んでみてください。 

ミニマリストVSマキシマリスト もう勝負はついている。

 

ミニマリスト =物減らしたがりの人

マキシマリスト=物増やしたがりの人

 

以上を前提に話をしたい。

 

ひとつの世帯に正反対の2人がいると、なかなか上手くいかない。ミニマリストだけが一方的に。

 

まず、マキシマリストは物を増やすことが好きだ。DVDや本、ぬいぐるみやフィギュアなどをコレクションする。その結果、物が増えて収納に困ると捨てるのでは無く、収納を増やすのだ。収納用の棚や箱自体はモノなので、モノは増えている。

 

それに対して物を減らしたい私は、物を買う時、貰う時、「家に置く場所あったっけ??」と常に思っている。なければ買わない、貰わない。収納を増やして置く場所を確保しようとは思わないのだ。

 

なぜ物を増やしたくないのか?を考えてみた。

・管理しなくてはいけない。

・置き場所にも家賃は発生している。

・掃除が大変になる。

・「割れ窓理論」で更に汚れる。

 

これは誰でも理解できると思う。

問題は次のこれだ。

 

気が散る。

 

これは主観の問題であり、客観的にはわからない。なので、

「え?私は気が散らないよ」

となってしまうと非常にややこしい。

しかし、頭のいい人がなぜ気が散るのかを論理的に教えてくれた。私はこれを読んだ時、

そうだったのか。やっと人に説明が出来る」と嬉しくなった。やはり大人のトラブルによる対立は最終的には論理に頼るしかない。

 

以下 自分を操る超集中力 メンタリストDaiGo著より引用

部屋を歩いていて何か障害となるモノがあると、不安や恐怖といった感情を司る脳の扁桃体が反応してしまうからです。リビングのフローリングの上に、同居人の置いた何かがあるだけで、「これはなんだ?」と警戒する反応が働き、そこにあるモノに注意を奪われてしまうのです。

 

目は脳と直結する特殊な器官だから。

 

脳が処理している情報のうちの8割以上は、視覚を通して集められています。

 

そうなのだ。ゴチャゴチャしていると、

視覚が無駄にいろいろな情報を処理してしまう。

これはなんだ?と警戒する本能が、働いてしまう。

 

「無意識をコントロールすることはできない」と聞いたことがあるが、これらも無意識に反応してしまうため、コントロール出来ず疲れてしまう。

しかし理屈はわかってもらえても実行してもらえるかは別問題だ。

 

子供がいると更に大変で、行く先々で色々な罠が仕掛けられている。

 

店で風船をくれたり、外食をすると「オモチャひとつどうぞ」と店員が何かくれる。タダでくれるものなので、たいしたものではないのだが、子供は貰えるものは欲しいと思っているので、結局もらうことになるのだ。家に着いた時にはもう飽きているのだけど。

 

私は引っ越しの時には要らないものは処分し、必要な物以外は買わないようにしている。部屋に収納は2つあるのだが、1つは空にしておいた。

 

そうすると、

「空いているならそっちの収納に物を入れていい?」

という話になった。

私が物を減らした分、世帯収納力がUPしたのでマキシマリストはこれまで以上に物を溜めれるようになったのだ。

 

今の所、筋の良い手が見つからない。この勝負、私の負けのようだ。

魔都は詐欺の思い出。信用枯渇都市上海

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中国は信用が枯渇している。

 

テレビでよく子供が何かに挟まるニュースがやっているが、そもそも日本では建築基準法などの法規制で起こりにくいようにしているのだろう。

 

こんな状態だと、安心して子供を遊ばせられないのではないか?いちいち安全性の確認が必要になる。

 

信用がないと、余計なコストがかかる。買った物が壊れていないか、いちいち確認しなければならないし、壊れていたら買った意味がないので、費やした時間は無駄である。

 

そのような信用の枯渇した社会で生きていると、騙された方が悪いという話になるのだろう。私は上海(別名:魔都)に旅行で行き、ついたその日に詐欺にあった。なるほど。魔都と呼ばれるだけある。被害額は約3万円。4泊5日だったが、ほとんど毎日詐欺に狙われていた。

「なぜ狙われているのがわかるのか」というと、1度詐欺にあったので多少調べたし、同じ手口で仕掛けてくるのでわかるのだ。

 

彼らは観光客が一目でわかるのだろう。私を騙したのは男女のペアだった。私を見つけると、詐欺のパートナーに合図を送る。そして

「写真をとってほしい」

と英語で聞いてくる。それに応じるとそのまま

「日本人か?」

「私は上海で働いていて、いとこの女の子を案内しているんだ。彼女は上海ではなく東北地方出身なんだ」

と話を繋げていき、最終的には

「チャイニーズティーセレモニー(お茶会)に一緒に行こう」

と言われる。私は立ち止まって話を聞いていたわけではなく歩いていたのだが、進行方向が同じような振りをして、いろいろな話をしてくる。もちろん詐欺師たちは慣れているので、できるだけ自然に話を持っていく技術はあるのだが、私自身も旅行で気持ちも大きくなっていたのだろう。何の疑いもせずついて行ってしまった。

 

歩いて10分くらいだった。とある個室に案内される。チャイナドレスをきた女の人が立っていた。前にはたくさんの茶器が並べられている。

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※これはお茶会の参考写真であり、私が行った場所ではありません。

何種類かお茶を説明しながら出され、中国式お茶会を披露される。1時間くらいは経っただろうか。

「最後にお土産のお茶を選びなよ。私達も今から選ぶんだ」

詐欺師のペアは何種類かのお茶を中国語で頼んでいた。私も「初日から荷物を増やすのは嫌だな」と思いながらも、2つほど頼んだ。適当に烏龍茶か何かを選んで待っていると請求書を渡される。大体¥1,850と書かれていた。

実は中国の価格の表記は¥で日本と同じなのだ。私は着いたばかりで買い物もほとんどしていなかった。たぶん水とかその程度だった。なので、

「1,850円?日本語?」混乱した私は聞いてみた。

「Is this japanese yen??」

「No,chinese yuan.」

スマホで調べた。

「.........3万円!?」

恥ずかしながら詐欺に気付いたのはその時だった。どうしよう。ゴネるか、交渉するか.......

選択したのは「素直に支払う」だった。まるで詐欺には気付いてないかのように振る舞った。ここで買うのはお茶ではない。「命だ」と。下手に何かをしたらどうなるかわからない。上海に着いたばかりで疲れていた私は、お互いにネイティブではない「英語」で交渉する気にはなれなかった。

 

実はこの男女2人組に騙される直前におじさんに話しかけられている。「写真をとってやろうか」と言われていた。このおじさんは見るからに怪しかったので断ったのだが、そのおじさんに再度話しかけられた。

「お前が2人組の男女について行くのを見たぞ。ついて行っちゃいけない。上海は安全じゃない」

「カラオケ、クラブ、全部ダメだ。ついて行っちゃいけないよ」

私は聞いてみた。

「お茶会は?」

「フロアに他のお客さんもいる場合はOKだ。しかし個室はダメだ。行っちゃいけない」

怪しいと相手にしなかったおじさんが実はいい人でフレンドリーな2人組が詐欺師だったのだ。

 

 

しかし話はここでは終わらない。

このおじさんは次々に話を始めた。船乗りだったこと。台湾と中国の関係などいろいろ話をしてきた。私は疲れていて相槌を打つくらいの反応だったのだがこんな事を言い出した。

「そういえば向こうの方にいい店がある。よかったら行かないか?」

結局このおじさんも詐欺師だったのだ..........。

詐欺に遭いたての観光客をもう1度騙してやろう。

さすがは魔都上海だ。私は上海を旅するには平和ボケし過ぎていたようだ。

「こんな場所にあと4日もいるのか.....」と少し不安になりながらホテルの部屋に帰った。

「あれ?壁に紙が貼ってある」なんだろう?日本語だ。チェックインした時は早く外に行きたかったので荷物を置いてすぐ外に出た。だから気付かなかったのだ。

 

読んでみると... 

中国では詐欺が多発しています。KTV(カラオケ)、クラブ、中国お茶会など誘われても絶対について行かないでください。悲しい思いをします。上海で楽しい時間をお過ごしください。