まだあの職業に女性はいない。なれば世界初である。
実は将棋の世界には女性のプロ棋士はいないのだ。女流プロはいる。しかし、羽生さんや藤井聡太君と同じ土俵で戦うプロはいない。
相撲のようにプロになれないというわけではない。実際なろうと奮闘している女性棋士は現在もいる。しかしなれた人がいないのだ。
そもそもプロ棋士ってなんなの?という人もいるかもしれない。簡単に説明しよう。
日本将棋連盟所属の四段以上の棋士をプロと呼ぶ。プロになればプロ棋戦に出れる。なので三段まではプロではないことになる。そしてプロになるには奨励会というプロ棋士養成機関に入り(6級からスタート)プロ棋士の卵たちとの戦いに勝ち進んで四段になることができれば、晴れてプロ棋士となる。
私は実は三段なのだが、アマ三段である。たまに将棋の話をすると「親戚が三段」とか、「親がもともと二段らしい」とか言う人がいるのだが、これはほとんどの場合アマの段位である。
正確にアマチュア段位と奨励会段位の比較をするのは私にはできないのだが、棋士の過去の発言やネットの情報だとアマ3~5段=奨励会6級くらいではないかと思う。
小学生の時にアマチュア三段になるほどの実力がある人だけが奨励会に入れる(中学生の場合もある)。その後、アマ三段が最低レベル(6級)の非常に厳しい奨励会という環境で勝ち抜けれる人だけがプロになるのだ。
●こちらはもう少し詳しい情報です。
なので、わずか14歳で四段になった藤井聡太君はそれだけでもスゴすぎなのに、初参戦のプロ棋戦で(プロ相手に)29連勝をして新記録を樹立してしまった。メディアがほっとかないのも当然である。
この奨励会三段(プロの一歩手前)で奮闘している女性棋士が2名いる。
その内の1人である里見香奈さんは女流棋士でもあり、女流棋戦のタイトルを6個中5つを持つ。女性棋界では圧倒的な強さを誇る。
そんな彼女も男女混合の将棋の世界ではプロではないことになる。
現在の三段リーグでの成績を見るとすこし厳しいとは思うけど、14歳2ヶ月でプロになるという将棋界の記録を62年ぶりに更新した藤井聡太君に続き、世界初である女性のプロ棋士の誕生という大記録を密かに願い応援している。
タバコ吸っていたのはモテたかったから。
私は23歳の時にタバコをやめた。まだ買ったばかりで16本も入っているマイルドセブンを彼女に渡し、「もうそれいらない!」と宣言したのだ。彼女はどうせすぐに吸うだろうと思って捨てずに1ヶ月ほどバックに忍ばせておいたそうだ。もう吸うことはなかったのだが。ちなみに人生初の禁煙宣言で見事成功させてみせた。1打数1安打だ。
私は今でも付き合いのある同級生が10人ほどいるのだが、禁煙成功者は私を除くとたった1人である。
今は愛煙家は肩身の狭い思いをしているだろうにみんな本当にタバコが好きなんだなぁと思っていた。
しかしかつては私はみんなよりも断然ヘビースモーカーだったのだ。こんな美味いものはない。一生付き合っていこうと思っていた。缶コーヒーとの相性は最高だ。他に何もいらない。
夜中の2時くらいにふとタバコ吸おうと思ったら空箱だった。季節は冬。1番近い自販機まで歩いて7、8分だ。
私は迷わず買いに行く事を決めた。普段は面倒くさがりだがこの時は即決だ。すぐ行動した。買ったタバコを吸いながら歩いて帰っている時に、この寒いなかこんな時間にわざわざ買いに行くなんて、我ながら「俺はタバコが好きなんだなぁ」としみじみ思っていた。
しかし学生が終わったら無性にタバコをやめたくなった。なんなんだこれ?と。百害あって一利なしだ。一生付き合っていくつもりだったが突然のお別れ宣言をした。
その時に私はタバコを吸っていた理由に気が付いた。ニコチンなんかではない。学生特有の「ルールを守らないことで目立ち、チヤホヤされること」が目的だ。なぜなら未成年で違法だから。ルールを守らない俺カッコイイだ。学生時代を有利に進めるための合理的な選択だったのだ。しかし社会人になったらルールを守らないことは突然ダサくなる。信用第一だ。タバコなんか吸っていても誰もチヤホヤしてくれない。むしろマイナスだ。ニコチンのパワーは、もはや「全く合理的でなくなってしまった喫煙」を私に継続させることはできなかった。
そういえば校則で禁止されていた時は必死に髪を染めていたが、大学に入り自由になる(特別ではなくなる)と黒髪で生活していた。
私が中毒になっていたのはニコチンではなかったのだ。
ドラゴンボールの実写映画を観たら絵が描ける人はすごいと再確認した。
相手の伝えたい事が私には伝わらない、こんな経験は誰でもあると思う。間違って伝わってしまうこともしばしばある。
そんな時に絵や漫画で説明してみるのはどうだろうか?そのように説明されると私はわかりやすいと思う。(可視化)
例えばドラゴンボールの世界を言葉や文章で伝える事が出来るだろうか?私にはできないし、漫画を読んだことがなければ、「何それ?つまんなそう」となる可能性も高い。
説明するなら漫画本が現実にあるので、「とりあえず読んでみて」が1番だと思う。
言葉では「界王拳やかめはめ波、ナメック星人」を伝えるのは至難の技だ。
ドラゴンボールのストーリーを思い付いたとしても、言葉で伝えるのはかなり大変だと思う。しかし絵にすれば伝わる。だからあれだけの大ヒットになるのだ。著者の伝えたいことが絵となり、わかりやすいからみんな読むのだ。
ちなみにドラゴンボールの世界観を、ハリウッドが実写版で伝えようとしたことがある。実は私も映画館に行き観てきたのだが、酷い出来だった。先に映画を知り、「これの原作の漫画があるんだよ!」と言っても誰も読まないだろう。そんな出来栄えだった。
案の定、インターネットでは酷評され、最終的には脚本家が謝罪までするハメになったらしい。
" ドラゴンボールの伝え方 "の大失敗による謝罪の必要性の有無は私には何も言えないが、それほど悪いインパクトがあったということだろう。
ちなみに著者の鳥山明さんも「たぶんダメだろうなと思っていた」とネガティブなコメントを残している。
私は絵がヘタなので、なにかを伝える時は言葉か文字になる。しかし場合によっては絵(漫画)で伝えるよりはるかにわかりづらいだろう。
なので私は漫画を描ける人はすごいと思っている。
↑
この世界を実写で表現するのは難しいよね。
もう弱者は貸主かもしれない。~供給過多が起こした革命~
不動産の賃貸借契約をする時に”礼金”というものがある。支払う側からすれば納得がいかないものだろう。この礼金とはもともと戦後の住宅不足の頃、契約させてもらったお礼として借主が大家に渡していたのが始まり。なかなかの”上から”である。
借地借家法を知っているだろうか?これは土地や建物の賃貸借契約において立場が弱いとされる借主を保護するための特別法である。
しかし今、借主の立場は本当に弱いのか?全国的に空き家が増えている現在、貸主は「貸してやる」というよりは「借りてください」という感じだろう。収益還元的な評価をすれば借主のいない物件は価値ゼロ(維持コストや税金はかかるのでむしろマイナス)である。
相続税を節税するために、地主は建物供給を続ける。これは実際の需要があるからではなく、節税が目的なので供給過多となって古い物件から空室率が増えていく(新築プレミアムという言葉もあり、基本的には借主は新しいものを好む)。よって古い物件は価格を下げて借主を獲得しようとする。
現在は初期費用を抑えたい(払えない?)人のため、敷金も礼金も0円の物件も増えている。1ヵ月間フリーレント(タダ貸し)も一般的になっている。大家側が支払う礼金である。借りてくれてありがとう。立場逆転だ。
また国土交通省が制作した原状回復のガイドラインもなかなか貸主に厳しいものになっている。最近の傾向は貸主に不利なことが多い印象だが、依然として借地借家法は借主保護を前提とした法律である。
実質的に"契約の解除を貸主からはできない"ことも非常に厳しい(借主はもちろんできる)。定期借家という更新を前提としない契約(双方合意による再契約は可能)もあるにはあるが借主や仲介業者も嫌がるし、あまり普及している印象はない。しかし借主を探しているのになぜ契約の解除をする必要があるのか?
それはトラブルメーカーを入居させてしまうと隣接している入居者が出て行ってしまうのだ。いい人がいなくなり、トラブルメーカーが残るという結果になってしまう。しかしこのトラブルメーカーを退去させようとしたら自主的に出て行ってくれない場合は裁判になる。ものすごい労力だ。しかも退去させるのには裁判官が認めるそれなりの理由(正当事由)が必要となり、ものすごくハードルが高い。マナーが悪い程度ではダメだろう。通常2年に1回ある更新は入居者に引越しをするきっかけを与える。その時に出て行くのは居心地の悪くなったいい人の方だ。1人のトラブルメーカーを入居させて両サイドの2人が退去した、合計はマイナスなんてこともある。
ちなみ貸主は借主が建物を使用収益できるようにする(契約した目的を達成できるようにする)義務があり、それをしなければ債務不履行で損害賠償を請求される可能性もある。
トラブルメーカーが変なことをしてそれが周りの入居者が住むのに悪い影響を与えていたら、対処する義務がある。みんなが避けたがるトラブルメーカーに正面から向かっていく義務があるのだ。まるで警察である。
大量供給してしまい需要を上回ると余りだして価値が減少する。相続税は節税できたかもしれないが、それは立場を悪くするのと引き換えかもしれない。
もしかして教師がキツイのは市場経済だから?
「かつては教師が生徒を殴るなどは当たり前だった」なんて話を聞くことがある。私の時代は当たり前とまではいえないが、私も引っ叩かれたことぐらいはあるし、それが大きな問題になることもなかった。
それが今は教師は生徒、保護者、同僚教師との人間関係でがんじがらめになっており、参っているのだという。この立場の変化はどうしてだろう?
ふと、これを市場経済(需要と供給)で考えてみた。
今は少子高齢化である。子供の人数が少ない。そして少ない物の価値は上がるのだ。
現在、新卒での就職活動も少子化の影響で売り手市場なのだという。
また昔は6人兄弟とか特に珍しくもなかった、と聞く。子供をたくさん産んで農作業などの手伝いをさせたりしていたらしい。子供であると同時に労働者として期待されている。
しかし今はそんな目的で子供を産む人はあんまりいなそうだ。
世帯あたりの子供の数も1〜2人くらいが平均的だろう。3人だと少し多い印象だ。
そうなると、社会全体でも各世帯でも子供の希少価値が上がる(大事にされる)。大事な我が子が殴られたら黙っていられないだろう。
極端な話、例えば子供が10人もいたら、1人の子供にかけられる時間は限られてくるので、多少のことはスルーしてしまうのではないか?
逆に学校の先生の価値が絶対的にも相対的にも下がっていることもあるのかもしれない。
昔は先生になれる人なんて限られていただろう。つい何十年か前までは女の人は大学に行く必要ない、なんていわれていたくらいだ。
人に何かを教える立場である先生になれる人は一定以上の高い教育を受けた人であり、供給が少なく、とても貴重な人だったんだと思う。
それに対してたくさんいる子供。
その状況が教師の立場を相対的に高くして、「殴っても問題ない。むしろ殴られたのは子供が悪い事をやったのだから当然だ」と社会全体も認識していたのでは?
しかし今は大学に進学する人は男女問わずたくさんいるので、教師になるのも昔より大変ではないのだろう。
実際、勉強自体は塾でする人も多い。私が小学生の時、中学受験をする同級生が"小学生範囲の勉強"という意味では教師のレベルを超えてしまい、先生の間違いを訂正していた。しまいには先生は「あなたは私の授業を聞かなくてもいいよ」と事実上の敗北宣言をしていた。
人間であろうと物であろうと貴重、希少である方が価値を高め優位になるのだろう。
実力主義の将棋の世界と棋士の年齢
挑戦者の年齢が若い。そして現在タイトルを持っている羽生善治や渡辺明といった棋士は中学生の時にプロなった天才である。今で言う藤井聡太四段のような人だ。
また今はコンピューター将棋が佐藤天彦名人に勝ったこともあり、若手を中心にコンピューター将棋を研究に取り入れるようだが、中年以降の人たちがこれについていくのはかなり大変だろう。
しかしコンピューターのほうが強いことが明らかになってしまった以上、それを認めてむしろ自分に取り入れていく棋士が強くなると思う。佐藤天彦名人はコンピューターに負けた後、指し手が変わったらしい。今まで以上にコンピュータ将棋を取り入れているのだろう。それができるのは” やる気 ”があるからだが。
話しやすい人はタダで消費されている?〜グチを聞くのは有料〜
知人Aさんが友人Bさんから悩み相談を受けている。その相談者はAさんにしか話さないらしい。その相談者との話といえば、いつも悩み相談(という名のグチ)ばかりなのだという。
また、そのAさんしか友達がいない人Cさんがいるらしい。Aさん以外とは特に遊ぼうとも思わないとのこと。
「唯一の友達に選ばれたなんてAさんは人望があっていいね!」と思っていたのだが、最近少し考え方が変わった。
それってタダで消費されているんじゃない?
なぜかと言うと、最近こんな話を聞いたからだ。
『グチを聞くのは有料』
例えば、キャバクラなどでは客の話を聞いてあげる。グチやつまらない話でも聞いてあげる。でも『有料』だ。有料だからできるのだ。好きで聞いているわけじゃない。客は高い金を払って、そのサービスを『買っている』のだ。
でも友達だとそうはいかない。飲みに行こうと言われて『有料』もしくは「奢ってくれるならいいよ」なんていつも返答していたら、相手は気を悪くするだろう。
だから人は大人になり忙しくなると、『グチばかりの友達』や『つまらない友達』とはできるだけ距離をおく。
たぶん、Aさんに相談してくる人は『他の友達から距離をおかれている』んじゃないの?
で、イヤな顔をせずに聞いてあげているAさんなら話を聞いてくれると思っているのではないか?と思ったのだ。
それって無意識かもしれないけど、消費されているだけだよね。今はこう思っている。
私もたまにはグチを言いたい時もある。友人に『無料で聞いてもらう』ならせめて "おもしろく" 話せるようになりたい。