地震は神のせい?進化論は教えない。

「トルコは意外と地震の多い国である」

以前、トルコに旅行に行った際にトルコ人ツアーコンダクターの人が言っていた。

「そうなんだ」

と思っていたのだが、次の言葉が印象的だった。

 

「しかしトルコ人地震があってもそれを神様のせいにする。なので、建物を強化しようとか、避難を効率的できるようにしようとかいう話にならない」

 

真偽の程は分からないが、一般人レベルだとそう解釈されているのかもしれない。

確かに日本の建物は耐震性などでは世界トップクラスだろう。

地震のアラートもすぐ来る。

「地球の造りと日本の位置により地震は防げない。なので、起こる前提で対応しよう」

日本の人々がこのように行動してくれたおかげで、私達は世界一の地震国に住みながらもある程度安心して暮らすことができている。

 

アメリカの中には進化論を教えない州があるそうだ。なぜなら進化論を肯定してしまうと、人類は神が創ったという話と矛盾してしまうから。

 

★★★

 

私達は親、身近な人、本、テレビ、ネットなどで自分が信じれる人や物を見つけて生きていく。

それは自分が毎日何十回と繰り返す選択や決定に影響を与える。

「自分で考えたことだけ」で生きている人はいない。ある人が言ったことを参考にするだけでなく、鵜呑みにしていることもよくあるだろう。

 

でも、自分の信じている人は

地震を神のせいにしたり」

「進化論を教えなかったりする人」かもしれないのだ。

ブログを書くようになって、路上パフォーマーの見方が変わった。

町田駅に買い物に行った時に路上パフォーマーがいた。

最初はマスクをしながら無言でパフォーマンスしていたのだが、ある程度人が集まってきたら、

「だれも喋らないとは言っていませんよ」

とマスクを取り、喋りながらのパフォーマンスに変わった。

サーカス出身のダンサーと自己紹介していた。

終盤に差し掛かると

「もしよろしければ気持ちをわかりやすい形に変えて帽子の中に入れてください」

とのことだった。もちろんそれが目的だろう。

しかし、今まで手拍子をしながら見ていた人達が金の話をした途端にパラパラっと姿を消す。

「タダなら暇潰しで見るけど有料なら帰ります」といったところだろう。

その後そのパフォーマーはこんな話をしていた。思い出しながら書いているので正確ではないが趣旨はあっていると思う。

「私達のようなダンサーやサーカスの人間は本当にお金がありません。

路上パフォーマンスをしないと生活が出来ないです。

10円や100円をくれてもぶっちゃけ生活の足しにはならない。

私は公立学校で体育のスポット的な先生をしているが、給料は1回いくらだと思いますか?

図書券1000円分です。税金で運営しているため現金はもらえないのです。

私は今、ちゃんとしたパフォーマンスを見せているつもりです。なので強制はもちろんしないが、そのことを理解してお金をお願いします。

お金が必要です。お金をください」

そんな感じの御涙頂戴な話が功を奏し、お札を入れている人もチラホラ見かけた。

実際私も千円入れてきた。が、札を入れたのは初めてだった。

今までは入れても100円、200円程度。金を払う前に帰ったこともあった。

でも自分ではなぜか分かっていた。

 

それは御涙頂戴に対してではない。

ブログを書くようになったからだ。

人を楽しませる仕事に金を払おうと思ったのだ。

ブログを書くようになってから赤の他人を楽しませるということがいかに難しいか前より分かった。

批判する人に「やれるならお前がやってみろ」という返しがあるが、

私はブログを書いてみて、

おもしろいブログ、漫画、パフォーマンス、youtubeなどなんでもいいが、知らない人を楽しませる作品を作っている人はすごいなと思うようになった。

私は普段は人を楽しませる仕事はしておらず、趣味で勝手にブログを書き始めているのだが、人を楽しませることを職業にした人に少し敬意を払ったのだ。 

日本で長時間労働(低生産性)が当たり前となったのは時間が余っていたからではないか?と思った。

農業の収穫量を増加させたいとする。

ブラジルの場合

面積広い

開墾して畑の面積を増やす

収穫量増加

 

日本(日系移民)の場合

面積狭い

1面積あたりの収穫量を増やす

収穫量増加

と「解決策が違う」との内容の記述がある。

しかしこれは日本人は賢いという話ではなく、身近な解決策を採用する傾向にあるという話のようだ。

実際、子供をたくさん生むことで労働人口を増やす傾向があったようで、1人あたり収穫量は低いとのこと。

[参考文献] 自分の時間を取り戻そう ちきりん著

 

 

 

★★★

 

アイスランドは人口が少ない国だ。(約33万人)

なので、夏の繁忙期は観光客に提供する食事をビュッフェスタイルで提供するなどセルフサービスにしている。

 

反対は人の多い中国。(約13億7000万人)

交通マナーが悪い中国は、上海万博や北京オリンピックを開催するにあたり、交通マナーが悪いままでは外国人を呼べないので、国民に交通ルールを守らせる必要があった。

その時に採用した解決方は、

市内のほぼすべての交差点に交通警備員を配置するという人海戦術

これは人口の多いアジア的な問題解決法であるとのこと。

[参考文献] 中国私論  橘玲

 

橘玲の中国私論---世界投資見聞録

橘玲の中国私論---世界投資見聞録

 

  

★★★

 

人間にはファスト思考(直感)とスロー思考(理性)があるという。

「考えるという行動」は意外と身体的にも精神的にも負荷がかかるようだ。

なので基本的には人間は考えることはあまり好きではなく、すぐ思いつくことで解決を目指すのだろう。

 

人が余っているなら人を使い、土地が余っているなら土地を使うのだ。

 

★★★ 

 

そんな中、日本で長時間労働(低生産性)が当たり前となったのは時間が余っていたからではないか?と思った。

 

「仕事であれば家族との時間を犠牲にすることは悪ではないという文化」が残っている日本では時間投入は必然。(他国との相対的に時間は余っている)

昭和の時代は今ほど女性も社会進出しておらず、職場の実態などもよく分からないので、帰りがいくら遅くとも「仕事だから」の一言で相手を納得させることができたのだろう。

しかし、労働市場からは昭和的な考え方の人(年上の人)から退場していくので、平成の考え方が主流となるこれからは仕事人間は許されない(モテない)かもしれない。

人口減少、少子高齢化、家族関係の欧米化?により1日の中で仕事だけに使える時間は減少する。

結果、生産性向上というか効率的に目的を達成することは必要なスキルとなるだろう。

 

...ただ、速く終わらせても家に帰りたくない人はたくさん居そうなので、新たな問題が発生しそうな予感がする。

日本の家族は「父親が夕方に家に居るのが当たり前」のように設計されていないのではないか?

私の友人も早く帰ると「いろいろ手伝わされるから」と、時間を潰しているようだ。

妻との関係が悪い、娘に嫌われている人もいるだろう。

その場合、結婚制度の変更やお手伝いさんが当たり前になるなど、家族のあり方を変えなければいけない。

その時も簡単に思い付く身近な解決策をまずは採用するのだろう。

私は奢られるのが好きではない。

「コーヒーいる?」と聞いてくる人がいる。

「きっと飲みたいでしょ」と何も聞かずに作ってくれる人がいる。

皆さんはどちらが嬉しいだろうか?

実は私は前者なのだ。

私は「コーヒーいる?」と聞いてもらいたい。

 

外食をした際の会計時に、

「今日は奢ってあげるよ」と言われた時、普通は嬉しいと思う。

でも私は人に奢られるのが好きじゃない。

少し性格が悪いかもしれないが私はこう思っている。

「頼んでいないことをやってくれる人はサービスの押し売りであることが結構多い」

なぜなら、いつかそれはサービスを受けた方がサービスを返すことによって最終的に「交換」されるから。

積極的に何かをやってくれる人がいる。それはそれで良いことだとは思うのだが、あえてひん曲がった性格で見てみたい。

おそらくやってくれている方(Aさん)は相手(Bさん)のためになっていると思っている。

Bさんはありがたいかもしれないが、特に頼んでいたわけではなかった。

そうすると、誤解が生まれ出すと思うのだ。

Aさん自分はいい事をやっていると勝手に思い込んでいる場合がある。

その場合、結果的にAさんの頼みをBさんは断れなくなることが多い。

(断れないわけではないが、その場合関係が持続しないと思う)

例えば人にご飯奢るのが好きな人がいる。たまに会ったりした時に奢ってくれる。
奢った方は奢ったという認識をもっている。

そうすると奢った方奢られた方に何かを頼んだ時に奢られた方は断れるだろうか。

もし断ったらきっと、

「あんなに奢ってやっているのに!」と怒りだすだろう。

実際、私の友人に奢ることが好きな人がいる。その友人が他の友人に

「車で駅まで迎えに来てくれ」

と頼んだら断られたという話を私にしてきた。

その時に

「奢ってやっているのに」と言っていたのだ。

しかし奢ってもらった代わりに何かをやらなきゃいけないならただの交換だ。

私の周りの奢りたがりの人とか、頼んでない物を買ってきてくれる人は自分で気付いていないかもしれないが、最終的には交換になっている場合が多い。

マクドナルドが勝手にハンバーガーを食べさせてくれて、後日「ちょっと洗い物手伝ってくれない?」となったらどうだろう?嫌じゃないだろうか?

「交換ならいいじゃないか」と思う人もいるだろう。

しかしタイミングの問題がある。

先にやる方は「自分のタイミング」でやるのだ。相手は頼んでいるわけではないから。

しかし頼まれた方は「相手のタイミング」なのだ。ここに大きな差があると思う。

「こないだ奢ってやったんだから駅まで迎えに来てよ」が、余裕のあるタイミングではない可能性もあるのだ。

これが「私は奢られるのが好きではない」理由である。

ショッピングモールの閉店を見て失業が理解できた。

近隣にショッピングモールが3つほどあり、ローテーションで行くのだが、先日行ったモール内の店が閉店していた。

たまに閉店をしているのだが、そのほとんどが

「これ、なんの店だっけ?あぁそんな店あったよね」

という感じの店だ。

あまり人気がない店でスタッフも暇そうにしている店が、一定の期間を過ぎると撤退している。

客としては新しい店が何の店なのか気になる。

 

★★★

 

そしてこれを思い出した。

社会が発展するためには時代に合わなくなった会社が倒産したり、不必要になった産業で働いていた人が失業するのはどうしても避けられないことで、そういった衰退産業を補助金や不必要な規制などで延命するよりも、むしろ倒産や失業を積極的に受け止めて、それによって余った労働力が次の成長産業にスムースに移れるような仕組みを作るべきでしょう。

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門

藤沢数希 著

 

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門 もう代案はありません

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特に誰も必要としていない(もしくはごく少数)の店舗が残り続けるよりも、新しい店が入ってくれた方が客は全然嬉しい。

人気のない店のスタッフは暇そうだし、場所も人材も価値を提供できない状態になっている。

おそらくスタッフの努力の問題ではなくて、出店した場所か売っている商品(もしくは両方)が悪いのだろう。

ショッピングモールの様に店がいくつも集まる場所は興味のない店は来店しても一瞬、もしくはほとんど素通りされる。そして1度つまらないと判断されてしまうと再来店は難しい。

ショッピングモールの利用者から見れば、その店はあってもなくても同じ。もしかしたら新しい店が入る可能性を消しているのでマイナスである。

なので、

・働いていたスタッフは他の店もしくは他の事をする。

・場所は新しい店に譲る。

・新しい店が良ければ客は喜ぶ。

である撤退は正しい選択だと思う。

 

 「ショッピングモール側がテナントに金を渡し(賃料の減額など)、客はいないのに延命し続ける」をやられたらやっぱり客のためにはならない。

 

「ミクロで正しくてもマクロではそうとは限らない」合成の誤謬があり、全てに当てはめるのは難しいとは思うけど、ショッピングモールというミクロの世界ではやはり人気のない店の撤退は正しい。

合成の誤謬 - Wikipedia

「物欲」は減少中だが、「めんどくさいことはしたくない欲」は増加中である。

最近良いモノを買った。SONYnasne

これを買って以降、

 

スマホで録画予約ができるので外出先でも予約ができる。

iPadでテレビを視聴出来るようになり、部屋にテレビを置く必要がなくなった。(別途課金必要)

・テレビ台や配線もない。

 

と自分が求めていたことが2万円ほどで一気に手に入ってすごく満足している。

私が観たいテレビは「週に4~5時間」くらいなので、そのためにテレビ、配線、必要によってはテレビ台やレコーダーを買い、部屋に置いておくのは気が進まなかった。

良い買い物をした時はすごく嬉しい。

お金は稼ぐよりも上手に使う方が難しいと聞いたことがあるが、求めていたことが現実にできる商品やサービスを買えた時は上手に使えたと思える。

そこそこ満足するモノを買うことは割とあるが、「いやーこれは良いな」と思えるモノを買えることはあまりない。

物欲もどんどん無くなり、「今欲しい物は?」と聞かれても

「疲れない体」とか「自由に使えるまとまった時間」とか非現実的なことしか思い浮かばなくて少し残念なのだが、

こんな問題があって、こう解決したいのでそのための商品を探そう!といろいろ調べると結構その商品は存在するのかもしれない。

ただ、「調べて」、「探して」、「見つけて」、「買って」、「箱を開けて」、「設置して」、「設定して」、「片付けて」、「最後にゴミを捨てる」

をすると思うとめんどくさくてしょうがない。

今回のnasneも実際購入に向けて動き出すのに結構時間がかかった。

           

★★★

 

昔、テレビで芸能人のマネージャーが担当芸能人の引越しの手配や買い物、その他身の回りのいろいろなことをやってあげているのを観て

「なぜ芸能人のマネージャーはここまでいろいろやってあげているんだ?それくらい自分でやればいいのに」と思っていたが、私が間違っていた。

今、私は「めんどくさいことは全てやってもらいたい」と思っている。

「テレビをiPadで観たいから探して買って設定してゴミも捨てといて」と本当は言いたい。

 

物が溢れる時代を生きてきて物欲はなくなってきてしまった。

昔に比べたら便利なモノがいろいろあり随分生活は楽になったと思うけど、めんどくさいことをやりたくないという欲は全然なくならない。

「物欲」はなく、「めんどくさいことはしたくない欲」はあるのだから、結局はモノを買わない選択をすることが多い。

モノを買ったらゴミ捨てまでしないと最後はゴミ屋敷になってしまうのだ。

30代は見た目だけでなく立場も変わる

「コンディション調整ってなんですか?」
私は20代中盤だった頃に聞いたことがある。
しかし30代中盤の今、そのような質問はしないだろう。
今はコンディションが悪い日は自分自身がほとんど使い物にならないからだ。
寝ない、食べない、酒をたくさん飲む、前日に無理をする。
このようなことをするとコンディションが悪くなり明らかにパフォーマンス(活動の質)が落ちる。

 

「コンディション調整ってなんですか?」は若い時はコンディションがあまり悪くならないから実感がなく聞いていたのだ。
今は徹夜や二日酔いは「聞くだけで疲れる」ワードだ。

30代中盤を超えると身体の調子を整えておくことも大事な仕事になる。
よく若いときに
「若いね。年取ったら疲れやすくなるよ。」
「若いね。今だったら何でもできるね。」
とか言われると思うけどアレ本当だ。そして私も同じことを若い人に言っている。

30代は見た目だけでなく立場も変わる

また実際30代になってみると、20代の時思っていたよりも大変なのかもしれない。身体が衰えるだけでなく役割が増える。

例えば、
①親から見て私は子供。
②子供から見て私は親。
③奥さんから見て私は旦那。
④上司から見て私は部下。
⑤部下から見て私は上司。
いつの間にか自分は何役もこなしていた。そして30代の男は誰かに頼るよりも頼られることの方が多い気がする。

 

サッカーの岡崎選手(レスター)がプレミアリーグで優勝するなど、イギリスで活躍しているが、実は岡崎選手は現在単身赴任中だ。

「サッカー選手は、いつもどこかでプレッシャーを抱えている。その中で、いつも家族と一緒にいればお互いが気を遣ってバランスが崩れてしまう。サッカーに集中して、家族といるときは子どもたちのために全力で遊んで過ごす。そのバランスが、いまはちょうどいい。」http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0612/

単身赴任とは、
①親から見て子供。
②子供から見て親。
③奥さんから見て旦那。
の役割からある程度解放されている状態だと思う(もちろん100%ではないが)。

解放された部分はおそらく奥さんが補っていたのだろう。あの活躍の裏には「集中できる環境を用意する」奥さんの協力が不可欠だったのかもしれない。

基本的には30代で「自分のことだけに集中」できるような人は稀だ。

若いね。今だったら何でもできるね。」は体力的なことだけではなく、

自分のことだけを考えていても許される立場」という意味もあると思う。

 

 

色々大変なので身体のメンテナンスは大事

 

20代の時よりも責任が増え、役割も増える30代を乗り切るにはやはり身体のメンテナンスは必要だろう。

私の中での自分のコンディションを測る指標としては「体重を適正体重に近い数字にする」を大事にしている。体重は僅かな変化でも数字に出るので、コンディションを測る上では、わかりやすい。

過去に1年で15キロほど太ったことがあるのだが、いろいろ不便だった。全くの別人になってしまう。

体が重いのですぐ疲れる。

すぐどこか痛くなる。

足の爪が切りづらくなる。

何を着てもカッコ悪く見える。

たまたま鏡に写った自分を見て少し落ち込む。

など本当に1つもいい事がなかった。

その頃は洋服を買おうと思っても

「すぐ痩せる予定で、サイズが合わなくなるから」

ユニクロばかり買っていた。結局、体重を落としてキープするのは何年か後になってしまったけど。

20代の若い時期に数年ほど太ってしまったのは少し後悔している。

その経験を活かしてこれからはちゃんと身体をメンテナンスして行きたい。

あともうひとつ。私は30代中盤になった今、カズこと三浦知良選手が今もプロでやれているのは本当にスゴい!と尊敬するようになった。