ワーキングホリデーに行くならバッパーに泊まろう。だってネイティブスピーカーはそこにいるから。
オーストラリアへのワーキングホリデーを利用した出国者数は毎年10,000人程度だという。
ワーキングホリデーに行く理由は様々ありそうだが、
「英語が話せるようになりたい!」という理由の人も多いだろう。
しかし残念だけど、1年(長くて2年)海外にいるくらいでは、ペラペラになることはない。
(現地校に行き、完全な英語生活が実現できれば、ものすごく伸びるとは思うけど、その環境は作れない)
現地の生活を通して、「英語という環境に慣れる」というだけで、思っているほど会話ができるようにはならないのが現実だ。(自分の言いたいことが言えない、という環境に慣れる)
しかし、「ペラペラにはなれない」というだけで、
「結構コミュニケーションが取れるようになる人」と
「全くダメで挫折して、日本人コミュニティの中で全期間を過ごす人」という差は出る。
少しでも当初の目的を達成するためには、どれだけ多い時間、英語に接することができるかが重要になってくる。
そこで私がおすすめしたいのは語学学校に行かないで、
英語はネイティブの旅行者との生活で覚える方法だ。
この方法が現地校に行く、「英語漬け生活」に1番近いと思う。
まず語学学校の場合は、
①語学学校は金がかかる。
②語学学校には語学を習う人=英語が喋れない人しかいない。
③日本人コミュニティが形成される可能性が非常に高い。
私もオーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがある。
最初の滞在先のメルボルンでは「ホームステイをしながら語学学校に行く」というお決まりのコースでスタートした。
右も左も分からない状態だったので、語学学校以外の選択肢は検討もしなかった。
語学学校には「英語が話せない外国人」がたくさんいて「お互いに片言の英語」でコミュニケーションが取れることを楽しんでいた。
しかし、私も最初のうちは日本人以外のアジア人(韓国人や台湾人、タイ人など)とのコミュニケーションでも満足をしていたのだが、1ヶ月もすると...
「いつオーストラリア人(またはネイティブ)と仲良くなるのだ?」と焦りだした。
そのうちに日本人コミュニティの人(日本人とばかりいつもいる人)から「桃鉄(桃太郎電鉄)やろうよ」とのオファーを頂いた事が私に最初の滞在地だったメルボルンを離れることを決意させた。
メルボルンに滞在して、2ヶ月半過ぎた頃くらいだった。
飛行機に比べて安価だという理由で、バスのチケットを購入し、12時間かけてシドニーに到着した。
そして重い荷物を置きたいので、すぐにバックパッカーズホステルを探した。
最初の宿泊先のバックパッカーズホステルでは、ラウンジルームに積極的に顔を出し、宿泊者とのコミュニケーションを図ろうとした。
しかし最初の宿泊先は活気がなく、ラウンジに人もあまりいない状態だった。
勇気を出してドイツ人の2人組に話しかけてみたのだが、あまり反応も良くなかった。
なので次の日にすぐにチェックアウトして、新たな宿泊先を探した。
シドニーのキングス・クロスという繁華街にたくさんバッパーがあるらしいので、そこに向かうことにした。
しかし重い荷物と共に移動するのは大変で途中にあるバッパーに宿泊することにした。
そしてたまたま入った次のバッパーが大当たりしたのだ!
宿泊者の7割近くがUK(イングランド、スコットランド)出身者で構成されており、私の部屋は4人部屋で、マンチェスター出身の2人の男性とグラスゴー出身の男性との相部屋だった。
彼らは旅行者であり非日常を求めている。そんな中アジア人であることは大きな武器である。
何もしなくても興味を持ってもらえるのだ。
「飲みに行こうよ」などのお誘いがあるので積極的に参加していた。
私は体調が悪いなどの理由がない限り誘いを断らなかった。
やはりノリの良さは大事である。
なんせ彼らは旅行中だ。
楽しむことが目的だろう。
そして積極的に参加していると次第に他の部屋の知り合いも増える。
また、ネイティブの彼らは私達と違ってあまり自国でお金を貯めて来ない。
オーストラリアで仕事を探して、旅費を貯めるのだ。
そのためバックパッカーズホステルのような安宿に2〜3ヶ月ほど滞在している人も多く、顔馴染みになっていく。
ただ、アジア人というだけで仲良くしてくれる訳ではない。
シャイな人や誘いを断る人は仲良くなれない。
彼らもアジア人が珍しいから「少し興味がある」というだけで、つまらない人と思われたらその後の誘いはなくなる。
目的だったネイティブとの生活を手に入れ、生きた英語を聞くことにより語学学校の何倍もの成果を実感していた。
そんな生活を2ヶ月ほど続けた後、ホステルで仲良くなった人達がある程度お金が貯まったようで、シドニーを離れるという。
私は完全なお荷物なので連れて行ってくれとは言えなかったのだが、彼らからの「もしよければ一緒に来ないか?」とありがたいオファーを頂き、その後の4ヶ月ほどを彼らと共に過ごすことになる。
シドニー → バイロンベイ → ゴールドコースト → ブリスベン → シドニー(2回目)
オーストラリア東海岸を彼らと4ヶ月間旅行した。
(上記の他にもフレーザー島やバンダバーグで”たまねぎピッキング”なども行っている)
話していることの大半が理解できない状況での生活を6ヶ月ほど過ごしストレスもかなりあった。
しかし今でも大変貴重な経験ができたと思っている。
そしてすごく楽しかった。
新年をシドニーで迎えた後、母国へ帰る人、再度お金を貯める人、パースなどの遠くへ行く人と目的がバラバラになったので私達は解散することになった。
彼らとの修行のような、しかしとても充実した日々を終えて私は久しぶりにメルボルンへ向かった。
そして語学学校時代の友人達と再開したのだが、英会話力(話す、聞く)は私のほうが圧倒的に成長していた。
メルボルンを離れなかった彼らは自然とコミュニティーを作りだす。
そしてそのコミュニティー(日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなど)ではほとんど英語を必要としないのだ。
必要ないことを継続して続けるのはとても大変だ。
そして日々の生活に英語が必要ないなら、それはオーストラリアにいても日本にいるのと大差ないのだ。