お金の循環

チップを払った時にお金の凄さを実感した。

それは私にはお金を渡す以外にその人を喜ばせる術がなかったからだ。

 

★★★

 

香港で受けたマッサージが非常に気持ちよかった。担当は50〜60代の香港のおばちゃんだったのだが、一生懸命マッサージしてくれている姿を75分目の前で見ていたので(背中の時は見えないけど)何かこちらも返したい気持ちになった。

さて、何を返そうか。

 

...その際お金しかないのである。

私からマッサージを返してもらっても嬉しくないだろうし、食べ物や飲み物も嬉しいか分からないし、そもそも手元にもない。

やはりお金なのだ。「これを自分の好きなもの(サービス)に変えてください」ということだ。

案の定すごく喜んでくれる。こちらも「相手に何かお礼をしたい」という目的は達成できた。

もちろん、何でもかんでもお金で解決することが無条件に良いとは思わない。たまには作業や苦労が目に見えるモノ、例えば目の前で料理を作るとか、トイレ掃除をしてあげるとかがお金以上に喜ばれる場合もあるだろう。

しかし異国で風習が違う場合などでも、一定の共通の価値を共有できているものはお金だろう。

 

そもそも渡したチップの元のお金は、私が「マッサージのおばちゃん以外の誰か」を喜ばせて得たのだ。おばちゃんにはお金を渡しただけだが、おばちゃんがサービスで私を喜ばせたように私も他人にサービスを提供して「その元となるお金」を得ている。

おばちゃんは私を喜ばせたので私からお金を貰い、そのお金でまた違う人からモノやサービスを買い、次はおばちゃんが喜ぶ番だ。

 

お金は「他人からの感謝を目に見える形に変えたもの」とすればお金の循環が世の中を幸せにするのかもしれない。