人気者になろうとするのはハイリスク・ハイリターン。 成功すれば得られる幸福は大きいが、失敗すればたくさんの不幸を味わうことになる。

私は緊張していた。

滅多に顔出しをしない作家を実物で見ることができるからだ。

私は橘玲さんのトークライブに行ってきたのだ。

彼の著書は多数読んだことがあるのだが、全く顔を知らないので、「実は有名人が偽名で活動してたりして」など勝手に想像していた。

橘さんが顔を出さないのには理由がある。簡単に説明すると、

プライバシーには大きな価値があり、放棄するともう二度と取り戻せない

プライバシーの放棄が前提となる職業(芸能人やスポーツ選手)の報酬が高額になるのは、成功の代償として失うプライバシーの価値が大きいから

 

匿名という「自分の身勝手」を優先する以上、制約も課していると言う。

自分自身の体験のみから語ること

制度を批判することはあっても、それを担う個人を批判しないこと

 

そのトークライブと最新刊の幸福の「資本」論の内容を踏まえて少し書きたいと思う。

 

無意識はコントロールできない 

 

「お金がない」「病気である」「友人(仲間)がいない」

          ↓

お金がないと物々交換ができない状態になり死ぬ可能性がある。

病気は対応しなければ死ぬ可能性がある。

友人(仲間)がいなければ協力が得られなく死ぬ可能性がある。

なので人間は

お金がない  ⇒ アラート(警報)が鳴る。

病気になる  ⇒ アラート(警報)が鳴る。

仲間がいない ⇒ アラート(警報)が鳴る。 

 

今の時代はもしかしたら仲間ゼロでも何とかなるかもしれないが、長寿である人間は進化に時間がかかるので、現代でも脳は石器時代に最適化されているという。石器時代は群れで生活することで協力し合い、群れからの追放は死と直結する状態だったであろう。自然の動物と同じ状態なのだ。

人間は無意識に「お金がない」、「病気である」、「仲間がいない」をそれぞれ区別することなく、全て「命の危険がある状態」としてアラートを鳴らしてしまう。

 

「このままでは死ぬ。なんとかしなさい。」と訴えかけるのだ。

 

橘玲さんはVRを体験すると「無意識の強力な力」を感じると言っていた。

説明のあったVR体験は次のようなものだ。


「VR ZONE Project i Can」極限度胸試し『高所恐怖SHOW』体験レポート

「高所(ビルの上)に橋を架けその先にいる猫を抱き戻ってくる」というミッションだ。

やってみると怖くて動けないという。実際は高い場所にいるわけではないのは意識で分かっていても、視覚が無意識に働きかけ怖くて動けない。橘玲さんは「周りに見ている人もいたので」と頑張ってトライしたそうだが、バランスを崩したら本当に失神してしまう人もいるそうだ。

「あなたはヴァーチャル体験しているのですよ」といくら言っても無駄なのだという。

違う言い方をすれば、「お金がない人」や「仲間がいない人」にいくら「大丈夫だよ」と言ったところで意味がない。

無意識が生命危機だと判断してしまうと「なんとかしなさい」とアラートが発せられてしまうのだという。

幸福を放棄して不幸にならない戦略

 

最初にやることはこのアラートを止めること。橘玲さんの提案は、

お金(金融資産)⇒ 金融リテラシーを身に付ける。

自分(人的資本)⇒ 好きなことに集中する(自分のキャラでないことはやらない)。

仲間(社会資本)⇒ 数人の親密になる関係以外はお金を介した関係を構築する。

人間関係は数人の親密な関係(家族と恋人)以外はお金を介したヴァーチャルな関係を構築を勧めている。

理由は、

お金と健康を除けば人生の問題のほとんどは近しい人とのこじれた関係(人間関係)から生じる。

幸せは社会資本(人とのつながり)からしか得られない。でも不幸も社会資本からしか得られない。

なので私は「人気者になろうとするのは社会資本を増やそうとするハイリスク・ハイリターンな戦略である」と思う。

話題になった「嫌われる勇気」にも

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

という記述があったが、幸も不幸も結局は人との関係によって決まる。

成功すれば得られる幸福はたくさんだが、失敗すればたくさんの不幸を味わうことになる。

橘玲さんの主張が新しいのは「だから人に優しくしましょう」とか「嘘をつかない」とか誰でも思いつきそうなものではなく、

親密な関係はほどほどにして、お金を介した”弱い”人間関係の構築を提案していることだ。

私自身も理解できる経験がある。テニススクールでテニスをやっているのだが、一緒にやっているメンバーのプライベートなことをほとんど知らないのだ。

職業、年齢、家族構成など何も知らずに、ただ「一緒にテニスをやることが目的」で集まっており、「飲み会」や「今度プライベートでテニスをやりましょう」という話にもならない。特に男性はその傾向があると思う(女性にはたまにプライベートな質問をされることもある)。実際かなり楽な関係であり、人間関係の悩みもない

このような弱い(趣味とかを通じた)つながりをもう少し増やせば、必然的に親密なつながりに割り当てられる時間も減少する。なので今後、「弱いつながり」が「私のつながりの全体に占める割合」は増える可能性もあるのだ。

 

興味があったら読んでみてください。