相手を変えるか、自分が変わるか。

以前テレビ番組である日本の島を紹介していた。

仕事が無いので若者は島を出て都会に行くという。島の高齢化率も非常に高い。

その島に残る住人の希望は「橋をかけてほしい」というものだった。島だからアクセスが悪く不利だ。だから人がいなくなるのだと。

島の人達の希望が理解できないわけではないのだが、少し違和感を覚える。たぶんそれでは解決しないと思うのだ。島へのアクセスがよくなっても人は増えないし、若者は留まらないだろう。

既に都会は発展しているので、島の発展を待つよりその島を出て都会に行くほうが圧倒的に早い。あとは適応能力の問題だ。高ければ高いほど島を出る選択をするだろう。橋は” どうしても島に残りたい人 ”にとって必要なものなのである。

 

もう1つ違和感がある。

「自分は変化することなく周囲に変化してもらおう」だからだ。

 

例えば賃貸住宅などでも隣の人が変わることはよくあるだろう。良好な関係だった隣人が引越し、新しい住人はトラブルメーカーだった。ということも珍しくない。

環境が変化してしまい都合が悪くなった時、「問題の解決」を優先する人は自ら引越しをして新たな住居に移る。自分を変化させることで解決してしまう。

しかし「自分は変わりたくない人」は相手に変化を求める。自分の都合に合うように変化してほしいと要求するのだ。住宅で言うならば、相手に直接言う、管理者に解決をお願いする、ひどいケースでは裁判もありえるだろう。

もちろん様々な立場の人がいるので、そうそう住居を変えられるわけではないと思うし、「自分が悪いことをしている訳でもないのになんで?」も理解できる。しかし解決するには自分が変わってしまう方が早いと思う。

 

この問題、私自身もちろん関係がある。近い将来に変化を求められる気がする。

 

この日本の島の問題、グローバルな視点で見てみると

日本と島の関係と世界と日本の関係が=(イコール)になるかもしれない。

日本と島=世界と日本

世界の人口を70億人、日本を1.27億人だとするとわずか1.8%しかない。

日本語は世界から見ると少数民族が話す言葉だろう。

私は1年間だけ外国にいたことがあるのだが(結構前だけど)、知り合う外国人が日本について何も知らないことに驚いた。スシ、ニンジャくらいである。

その時、私の印象=日本人の印象になってしまうかもしれない、とすこし焦った記憶がある。アニメなど日本の文化が好きな人もいるだろうが、そうでない人が大多数で、そうでない人は日本のことなど何も知らない。これが私の実感だった。ちなみにアジア人は日本に詳しい。アジア内では「カッコイイ国」というイメージがあるみたいで日本に興味がある人が多かった。

日本にいると実感しづらいのかもしれない。テレビ番組も日本を褒める内容が多い(日本をけなす番組を作っても不快な思いをする人がいるので制作しないのだろう)。しかし現実は、我々が思っているほど日本の事を知らないと思う。

 

未来の事はよくわからないが、自分の環境が悪くなった時に自分が書いたこの文章を読み、自分自身が変化することで適応できるように努めたい。

 

進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの名言を残しておこう。

一番強いものが生き残るわけではない。一番賢いものが生き残るわけでもない。

変化に適応できるものが生き残るのだ。