人生とは死ぬまでの暇つぶしである

暇つぶしという重要な問題 – 『暇と退屈の倫理学』 – アゴラ

 

「人生とは死ぬまでの暇つぶしである」という言葉を聞いた事がある。究極的には確かにそうなのかもしれない。

「生きる意味とは何なのか?」など考えることは「余計なこと」であるという考え方もある。

 

今なら大体80年間という暇な時間を何かしなければいけない。何もしていない80年はさすがに体感的に長すぎだろう。しかし主体的(能動的)に何かに取り組み続けるのは意外と難しい。

そのため受動的に時間を過ごす必要もある。

なので、暇つぶしのため材料を提供するのは非常に社会的に意義がある。

ゲームを作る人、youtuber、本、ブログ、なんでもいいので人が暇を潰すためのモノを作っている人はとても世の中の役に立っていると思っている。

暇な時間の消費の仕方が下手な人も何かをしないといけないので、犯罪、人の足を引っ張る、などに発展する可能性もある。

全ての人が有意義な時間を過ごせるわけではないのだ。

そんな人達がゲームやテレビに没頭してくれていれば、社会にマイナスにはならない。

私も効率化によってこれから得るであろう「膨大な暇な時間」を上手に消費する方法を体得しなければいけない。