自分自身が書籍を購入することを通して「信用」を少し理解した。
自分自身が書籍を購入することを通して「信用」を少し理解した。
書籍を買う際、内容を全て確認してから購入することはできない(立ち読みで読了する方法はあるが)。
よって、買う時に考えることは、
「この人の本ならきっと面白いだろう」と相手の事(本の内容)を信用して買う。
相手のことがよく分からない場合は「経歴や出身大学」などで信用を補填することになる。
意外とこれは無意識に全てに当てはめているのかもしれない。
・遊ぶ時には「きっと面白い時間になるだろう」
・仕事を発注する時は「きっと、きちんとやってくれるだろう」
「書籍の内容」や「過ごす時間」、「仕事の完成度」に満足がいかないことが予想できるならば、それを避けると思う。
★★★
以前、部屋を片付けていたら音楽のCDが出てきた。
その中の数枚は私のCDではなかった。
借りた物を返していなかったのだ。
学生時代は借り物を返し忘れる(借りパク)も度々あった。
きっと私が貸した物が返ってこない時に、
「忘れてるんだろうな...返してくれとは言いづらいな...。」
と思っていたのと同様の事を私に対して思っていたのだろう。
学生時代だから許された?かもしれないが、大人になったら許されない場合も多い。
結果、もう聴きもしないCDと引き換えに私は信用を確実に失ったのだ。
その後、何人かの友人に会った時に借りパクしていたことを伝え、
「必要なら返す」と言ったら、返答はもちろん「もういらない。捨てていいよ」だった。
一応ビールを奢ったので、なんとか水に流してもらえたらと思う。
同窓会をすると如何に自分が彼らから影響を受けていたかわかる。
学生時代の友人と会う機会は年々減っていく。
今では年に1回の忘年会の時だけ会う友人も多い。
最近は旧友に会うと発言や行動に違和感を覚えることも多くなってきた。
・考え方 → 「仕事論」、「人生論」、「家族観」など。
・振る舞い → 「言葉使い」「店員に対する態度」「ゴミのポイ捨て」など。
どちらが良いとか悪いとかではないが、
「私はそう思わない」
「それはしない」
「いや、これは大事でしょ」
このような感じで意見が相違することも多い。
特にそれを指摘したりして、波風をたてる訳でもないけど。
友人と会うことが減るようになると、徐々に本来の自分に近づいて行くような気がする。
彼らから受けた影響がどんどん減っていく。
それぞれが自分の時間を過ごし、色々な影響を外部から受け、1年も経つと価値観が徐々に変化してくる。
それが10年ほど積み重なると、正直ほとんど話が合わなくなってきてしまった。
話の内容は共通の知人の話がメイン、というかそれくらいしかない。
人との関係も流動的にすべきなのだろうか。
その場合は「今の私と仲良くなりたい」と相手に思ってもらわなければいけない。
その為には、金銭や人脈など戦略的な観点から惹きつけるやり方もあるだろうし、「楽しい」や「落ち着く」など感情的に惹きつける方法もある。
どれを自分の強みとして選択し強化するのかは人それぞれなのだが、どれもない場合は「大人になってからの友達(知り合い)」はなかなかできないだろう。
物を減らし続けている。
2年前くらいから定期的に物を処分し続けていている。
・買わない
・貰わない
・捨てる
を意識しながら生活をしてだいぶスッキリしてきた。
物を捨てる際、
「あ、これいつか使うかな?」という雑念は未だに現れるが、振り切って捨てるようにしている。
色々処分した結果、デメリットは今のところ思いつかない。
対してメリットは、
・片付けがすぐ終わる。
・物を探す時間が減った。
・無駄金を使わない
・「片付けしなきゃ....」という心へのダメージが少なくなる。
などが今すぐに思いついたこと。
★★★
現在私が目指しているのは人間の体型で例えるなら「痩せ型」くらいだろうか。
こんなイメージである。
・モノ多すぎで管理できていない(モノがダブる) → 肥満
・ダブっていないが一通り揃っている → 標準
・若干足りないが、必要な時は借りるor他で代用 → 痩せ型
★★★
また、徐々に物を減らしていくと、次の処分のターゲットが自然と見つかる。
私の場合は「仕事に使っていたノート」をデジタル化して現物を処分することだ。
大体10年分くらいあるのだが、毎日1年分をデジタル化して処分をした。デジタル化しておけばスマホで内容を確認できるし(現物は持ち歩いていないため、必要な時見れない)現物で持っておく理由は使い勝手の面からみても何もなかった。
物を捨て続けているが買った物もある。『シュレッダー』だ。
コクヨ シュレッダー デスクサイド S-tray ホワイト KPS-X120W
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今までは紙を処分しようとしても、住所などが書いてあり手間がかかるので後回しにしてしまい、結果溜まっていくことが多く困っていたが、家庭用小型シュレッダーを買うことで簡単に解決した。
仕事ノートもシュレッダーがあるから処分がスムーズに終わったのだ。
無ければ「また今度」となっていただろう。
不要なモノは不要だが、有用なモノはやっぱり生活の質を上げてくれる。
その見極めが大事なのだろう。
接客は自然が気持ち良い。
先日、近所に外食に出かけたのだが、非常に気持ちのいい接客だった。
一緒に食事に行った人も「接客の人の感じが良いね」と言っていた。
何がよかったのだろう?少し考えてみた。
おそらく接客が「嘘くさくなかった」から良かったのだ。
丁寧過ぎることもなく、無礼でもない。
言葉のチョイスも自然で好感を持ったのだろう。
★★★
近所に蕎麦屋があり、そこの息子が出前の配達やレジを担当している。
要するに蕎麦をつくるのではなく接客をしているのだが、接客が異様に丁寧でその時の笑顔が大袈裟なのだ。
なんとなく嘘くさい。
たまたまその息子が出前の配達をしている所を見かけた。
おそらく交通トラブルがあったのだろう。
車に怒鳴りつけているのを見かけてしまった。
怒鳴りながら配達用のカブで過ぎ去っていた。
どこで誰が見ているかわからないものだ。
私も気を付けなければ。
その時に思ったのが、
「ああ、やっぱりあの笑顔は嘘だったんだな」だった。
なぜ自然に振る舞わないのだろうか。
きっとこういうことなのだろう。
_____________
素の自分だとマズイことに気付いている。
↓
よって対人用に仮の自分つくる。
↓
加減がわからず極端に丁寧になる。
↓
嘘くさい。
良い人は、
素の自分(またはそれに近い状態)で接客する。
↓
自分そのままなので自然。
_____________
演じた自分は相手から見ると不自然さが滲み出てる。
不自然さが出ないのであれば主演俳優賞だ。
しかし、そんなに簡単ではないだろう。
自分が普通にやっていること、特にすごい事をしている認識はないのに周りから「すごいね」と言われる事があなたに向いている事(天職、適職)であると聞いたことがある。
自然な接客が出来る人はすごい事をしている認識はないのだろう。
きっと向いているのだ。
そして接客の際に「自分の人格を変えないといけない人」はたぶん向いていないのだ。
携帯ゲームをアンインストールしたら可処分時間が増えた。
「時間が無い、足りないと思うならテレビを捨てなさい」
こんな言葉を聞いたことがある。
将棋ウォーズ(ネット将棋)というアプリをアンインストールした。それから1週間半程が経った。
すると当たり前だが可処分時間(好きに使える時間)が増えた。
このゲームに費やしていた時間はいろいろ込みで1日に1時間〜2時間くらいだろうか。
また、対局終了した直後から違うことに取り組める訳でもなく、なんとなく頭の中で考えたりしている。
それが無くなった。今までそれに費やしていた時間を他の事に使うことになる。
★★★
そもそも将棋ウォーズをやめたい、アンインストールしたいと思ったことは過去にもあったのだが、強く思うようになったのには理由がある。
きっかけはこの本を読んだからだ。
題名の通り100分の1の『希少性の高いレア人材』になるための本なのだが、
超簡単に要約すると、
①パチンコをしない
②携帯ゲームをしない
③月に1冊の本を読む
たったこれだけのことをするだけで『8分の1の存在になれる』ということなのだ。
逆に言うと、それすらできない人はこの本を読んでも意味がない、という趣旨の事も書いてある。
なるほど、いくら意識を高くして小難しい本を読んだところで、こんな時間の使い方をしていたらダメということか。
文字にすると非常に簡単なように思えるが、上記の①、②の条件は全て習慣になってしまう(中毒性のある)ものであり、今までパチンコや携帯ゲームが習慣になってしまっている人が、いきなりそれをやめても、それによって手にした時間に戸惑ってしまう可能性がある。
そして何をしていいのかわからなくなり、違うパチンコ屋(または他のギャンブル)に行ったり、違うゲームに没頭したりしてしまうことも十分あり得るだろう。
だいたいパチンコをしている友達は決していい事(有益な事)をしているという感覚はなく、ダメな事だとわかってはいるが、暇になると行ってしまうという友達がほとんどだ。
しかも負けてしまった日には、お金と時間の両方を無くして絶望的になるという。
私はパチンコはしないのでそこまでの絶望は味わっていないが、将棋ウォーズの通算対局数などを見て、
「この時間を他のことに使っていれば....」と思ったことは何度もあった。
そしてアンインストールして実際に増えた可処分時間でこのブログを書いている。これが将棋に比べてどのくらい有意義なのかは今のところ不明である。
宿題を終わらせた。
2017年も終わりが近づき、やり残したことを終わらせたくなる頃だ。そんな中、ようやくやり残した宿題を終わらせることが出来た。
宿題とは将棋ウォーズで二段に昇段すること。
少し前にこんなことを書いた。
二段への昇段は自分の実力を出せれば手に届く所にあり、このまま諦めるのはなんとなくスッキリしない状態だった。
「所詮ゲームであり達成しても何もないのだ」と自分に言い聞かせていたが、何となくモヤモヤしていた。もうこれは自分との戦いである。自分自身を満足させるためには昇段が必要だった。
将棋は負けると非常に悔しいゲームである。まず、勝負の中でも珍しく「負けました」と負けを自分で認めることで終局する。
先手、後手以外は条件も同じ(平手なら)であり、
体格や男女差など比較的分かり易い条件も勝敗への影響はあるのかどうかよくわからない。
よって負けた時に「自分を慰める都合のいい言い訳」の要素も少ないのだ。
結果、負けた時には「ただただ悔しい」という気持ちだけが残る。
今はインターネットでプロ棋士の対局を観戦することができる。そこでは自分の負けを確信している棋士が「負けました」が言えなく、水を飲んだり、トイレに行ったりして気持ちを整理している姿も観ることができる。
アマチュアだって悔しいのだ。プロの悔しさは想像を超えるものだろう。
ちなみに将棋は負けると凄く悔しいので途中から「観る専門(観る将)」になる人もいるくらいなのだ。
二段昇段を目標にしてから少し将棋に費やす時間が長くなってしまった。それはイコール他のことを疎かにしてしまった事でもある。
三段、四段と目指せばもうキリがなくなる。
とりあえず目標達成した私は、昇段直後にそっとアプリをアンインストールした。