肩書きと実力 〜将棋〜
肩書きと実力がイコールとは限らない。
私がそうだった。
肩書き上の私の将棋の棋力は「アマ三段」である。 一応(お金を払えば)日本将棋連盟に正式に認めてもらえる。
しかし棋力判定方法なのだが、「NHK将棋講座の本の中にある問題を解き、正解数によって棋力を認定してもらう」というものであり、対局を通したものではなかった。
一方、対局を通して棋力を認定してもらう方法もある。
「将棋ウォーズ」というアプリでインターネットを通じて様々な人と対局をして勝っていくことで昇級を重ねる方法だ。
こちらでも日本将棋連盟が棋力を正式に認定してくれる。
ちなみにこの将棋ウォーズでの私の棋力は初段である。
初段の中では上位にランクをしているが、初段は初段である。
肩書きでは「アマ三段」、対局では「アマ初段」というのはやや情けないと思い、二段に昇段してこのアプリをアンインストールしようと思った。
将棋ウォーズは課金なしでは「1日3局」指すことができるが、それ以上対局したい場合、課金(600円)をすれば1ヶ月間指し放題になる。
課金をするかどうかを悩んだが、時間を買おう(早く二段昇段し早くやめよう)と思い課金してしまったのが運の尽きだった....
没頭してしまった。
しかも指せば指すほど勝てなくなる。
集中力が続かない中で連戦をして「うっかりミス」でよく負けた。
1日3局は集中するのにちょうど良い数だったのだろう。
将棋という集中力が勝敗を左右するゲームでは集中力の欠如は致命的である。
しかし対局を連続していると集中力が無くなる。
考える事を拒否するというか、考え続けることが嫌になり早く1手を指したくなるのだ。
「脳は疲れるんだな」ということが身にしみる。
結果、課金をして対局数のリミットを外したことは「悪手(将棋用語で悪い手)」であり二段の道は課金前より遠くなってしまった。
しかも空き時間を将棋に費やしてしまい、他の事が疎かになるというマイナスのおまけ付きだ。
香港旅行記DAY3 澳門特別行政区 マカオ
香港旅行の3日目は「中華人民共和国共和国澳門特別行政区」に行ってきた。
通称マカオである。
100年以上統治されたポルトガルから1999年12月20日に返還された。
ちなみに香港では看板の表記が「広東語と英語」なのだが、マカオは「広東語とポルトガル語」になり、途端に理解できなくなる。
また通貨も「パタカ」というマカオ独自の物になる(ただし香港ドルも使える)
マカオへはフェリーで1時間ほどで着く。
今回は九龍側にある「チャイナ・フェリーターミナル」からマカオを目指した。(香港島側からもフェリーは出ている)
ちなみにヘリコプターでも行けるらしく、所要時間は15分とのこと。
お金持ちはヘリで移動時間短縮を買い、得た時間を有効に使うのだろう。
マカオは一言でいうと欲望の街だ。
マカオに着いたらすぐに様々なきれいな衣装を着た若い女性が現れ、カジノを併設したホテル行きの無料シャトルバスへ案内してくれる。まるでテーマパークの様だ。
下の写真は観光地。自撮りをしている人がたくさんいた。
よく調べたわけではないが、目に付くものは「カジノ」と「ホテル」と「レストラン」ばかりだった。
観光客にお金を使わせる事がマカオ人の目的の様に見える。
マカオ人はマカオというテーマパークのスタッフで、我々外国人はそこのお客さんだ。
マカオの町並みは欲望を隠さず、とてもギラギラしていてすごく面白い場所なのだと思う。
しかし私はこのテーマパークの様な場所に1人で行ってしまったため、マカオが持つ本来の実力を発揮させる事が出来なかったと思う。
残念だ。
ディズニーランドは女性が楽しめるテーマパーク。
独身でお金のある男性が数人で楽しむディズニーランドがマカオだ。
将棋の若手棋士は研究にコンピューターを多用している。
以前、棋士の年齢という文章を書いた事があるのだが、その時からタイトル保持者が変わった。昨日新王座が生まれた。
羽生さんから勝利した新王座はテレビでも活躍している中村太地六段!また若手である。
ちなみに王位も今年の8月に菅井竜也七段が羽生さんから奪取している。
羽生さんはとうとう1冠(棋聖)だけとなった。
AIなどのテクノロジーとの相性は若い人の方が圧倒的に良いのだろう。
体力、脳の若さ、勝ちたいという情熱(お金も含む)、独身であり自分の時間を自分の為に使える、などなどは新しいモノに適応する時に大いに影響しそうだ。
勝敗がわかりやすく、規制の少ないことはAIなどの技術への適応が上手な人に有利になっているように思える。例えば「コンピューターを使った研究禁止」とか将棋連盟が言い出したら勝率はまた変わってくるのだろう。
私は勝率が上がっている20代と下がっている40代とのちょうど間の30代。意識して適応しなければいけない世代かなとも思う。
私の周りにも新しいテクノロジーをなんとなく嫌い、「習字」や「そろばん」などのアナログを急に評価し出した人もいる。
きっと自分のよくわからないモノへの拒否反応なのだと思う。
将棋でもベテラン棋士が「コンピューターに将棋を教えてもらうくらいなら辞めた方がマシ」というような趣旨の発言をしているという記事を読んだ事がある。
本音は「もうよくわからないからついて行けません」だろう。
「これからは日本語、英語はもう終わりで、ロシア語の時代です。勉強してください」とか言われたら誰だって面倒だと思う。でもやらなきゃいけない場合もある。
大きな変化が起こりそうな時、私がまだ30代だったことは幸せなことだ。なんとかついて行きたい。
上海で詐欺にあったが実は安いのではないか?
たまにテレビでドッキリ企画というものがやっているが、
「自分が仕掛けられたらどんな反応をするのだろう?」
とよく思う。
★★★
2年前、上海で詐欺にあった。お茶会詐欺というやつだ。ビックリするような金額を請求された。
請求額は3万円。よくわからないお茶や烏龍茶を信じられないような金額で買う羽目になった。
旅行初日だったこともあり、直後はたしかに落ち込んだのだが、数時間くらいで考えが変わった。
「本物の詐欺を体験できたことはすごく価値がある」
例えば、私達はお化け屋敷などで恐怖を体験できるがあれは作り物だ。
安全が確保されている上でのアトラクションとしての恐怖である。
しかし私の詐欺体験はリアルだ。
自分が詐欺にあったとき(緊急事態でもよい)にどんなふうに対応するのか、意外と自分でもわからないものだと思う。
パニックになるのか、怒り出すのか、泣き出すのか....
詐欺に気付いた時、私は意外と冷静だった。その時考えていたことは、
「一番大事なのは命だ。なるべく穏便に済ませ、早くこの場から離れよう。」と考えていた。
詐欺に気付いている素振りも見せずにさっさと会計を済ませ、笑顔でさよならした。
詐欺という緊急事態でも自分が冷静でいたことは結構嬉しかった。
今後何か緊急事態があってもパニックにならないかも知れないし、詐欺に関しては1度経験済みなので、多少免疫ができた可能性もある。
とはいえ、この体験は脳へのインパクトも大きかったのだろう。上海旅行で一番印象に残っている。
私の思い出にしておくだけでは"もったいない"ので、機会があればなるべく人に話している。雑談をしている時に話すことが多い。
私は3万円で「詐欺体験ネタ」を仕入れ、他人に話して楽しんでもらうことで回収しているつもりだ。
失敗したらその体験を調理して、他人に話して楽しんでもらえばそれでいい。
みんなが興味を持ち楽しんでくれたなら3万円など安いものだ。
食事の生産性。
イタリアやスペインは食事にかける時間が長い。
またスペインは1人で食事をするという文化がなく、少なくとも2人以上でするものらしい。
その感覚は1人でカラオケにも行ける日本とは全然違う。
楽しむという側面もあるが、本来食事は生きるための栄養補給が目的だ。
長い時間をかけて栄養補給をしているので、食事の生産性が低いことになる。
★★★
日本は労働時間が長い。
速く終わらせてさっさと帰るという文化がなく、上司が帰らないと帰れない。
仕事は仕事と割り切っていそうな欧米とは全然違う。(たぶん)
本来仕事は「ある価値」を作ることが目的だ。
長い時間をかけて「価値」を作っているので、労働の生産性が低いことになる。
スペイン→仕事生産性高い。食事生産性低い。
日本 →仕事生産性低い。食事生産性高い。
結局、問題になるのか、ならないのかは
「好きでやっている」か、「嫌だけどやっている」かになるのだろうか?
楽しく長時間労働して、生産性は他国と相対的に低い場合はどうなのだろう?
「ダラダラやっているがストレスなし」も問題あるのか?
他国の人がゆっくり食事をとっている時間にコンビニのおにぎりで食事を終わらせ、余った時間でダラダラ仕事をする。
要するに1日で生産したモノが先進国の水準ならいちおうは問題ないのか?
...グローバル化するとダメな気もする。
世界と競争することになれば日本独自のやり方は良いものなら真似をされ、悪いものなら世界と差が付くのだろう。
また余暇は頭や体をリフレッシュしてくれるので、余暇の後はやる気が出てきたり、アイディアが浮かんでくることもありそうだ。
スポーツ選手が「休息も食事も練習の一部」と言っているが、ビジネスマンも同じかもしれない。
しかし、これまで仕事ばかりであまり余暇がなかった日本人男性は「文字通りの仕事の時間」以外の時間の使い方があまり上手くなさそうだ。
きっと労働生産性を上げて5時に帰れるよりも、ダラダラ9時に帰りたい人はかなりたくさんいるだろう。
お金の循環
チップを払った時にお金の凄さを実感した。
それは私にはお金を渡す以外にその人を喜ばせる術がなかったからだ。
★★★
香港で受けたマッサージが非常に気持ちよかった。
担当は50〜60代の香港のおばちゃんだったのだが、一生懸命マッサージしてくれている姿を75分目の前で見ていたので(背中の時は見えないけど)何かこちらも返したい気持ちになった。
さて、何を返そうか...。
...その際、お金しかないのである。
私からマッサージを返してもらっても嬉しくないだろうし、食べ物や飲み物も嬉しいか分からないし、そもそも手元にもない。
やはりお金なのだ。「これを自分の好きなもの(サービス)に変えてください」ということだ。
案の定すごく喜んでくれる。こちらも「相手に何かお礼をしたい」という目的は達成できた。
もちろん、何でもかんでもお金で解決することが無条件に良いとは思わない。
たまには作業や苦労が目に見えるモノ、例えば目の前で料理を作るとか、トイレ掃除をしてあげるとかがお金以上に喜ばれる場合もあるだろう。
しかし異国で風習が違う場合などでも、一定の共通の価値を共有できているものはお金だろう。
そもそも渡したチップの元のお金は、私が「マッサージのおばちゃん以外の誰か」を喜ばせて得たのだ。
おばちゃんにはお金を渡しただけだが、おばちゃんがサービスで私を喜ばせたように私も他人にサービスを提供して「その元となるお金」を得ている。
おばちゃんは私を喜ばせたので私からお金を貰い、そのお金でまた違う人からモノやサービスを買い、次はおばちゃんが喜ぶ番だ。
お金は「他人からの感謝を目に見える形に変えたもの」とすれば、お金の循環が世の中を幸せにするのかもしれない。
グローバリゼーションとプレミアリーグ
サッカーに例えるとグローバリゼーションは分かり易いのかもしれない。
[各国代表チームのように自国民だけでチームを構成する。]
FWに決定力のある人が欲しい
↓
才能のある選手を探す。
↓
育成する。
怪我したら終わり。再度、選手を探す&育成。
[クラブチームのようにインターナショナルなチームを作ることを容認する。]
FWに決定力のある人が欲しい。
↓
才能のある選手を探す。
↓
買ってくる。
怪我したら別の選手を探す&買ってくる。
各国代表とクラブチームで戦ったらクラブチームが圧倒するだろう。必要な人、物、サービスなどを自前で用意し続けるのは大変だ。
今のサッカーゲームは自分でチームを作ることが可能で、その自分で作ったチームと他の人が作ったチームが対戦する。
人選は何でもありのそのゲームで、日本人しか使わないとかアジア人しか使わないとかやっているとやっぱり勝てないのだ。
企業の経営者はそのゲームのような事をリアルでやっているのだろう。
ゲームはいくら勝ってもリアルの生活にポジティブな影響を与える事は少なそうだが、リアルでは勝ち負けがポジティブにもネガティブにも直接影響する。
なので勝敗によりこだわるだろう。
ゲームでは最強チームを作ろうと良い人材を国籍問わず探している人はグローバル化を否定できないだろう。
だって経営者がやっている事はそれと同じだから。
ちなみに過去にはこんな事があったようだ。
こんなデータも。